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米沢 富美子(よねざわ ふみこ、女性、1938年10月19日- )は、日本の理論物理学者、慶應義塾大学名誉教授。専門は物性理論、特に固体物理学。アモルファス研究で国際的に知られる。理学博士(京都大学)(1966年)。大阪府吹田市生まれ。旧姓名、奥 富美子。 日本の女性科学者の草分けとして、一般向けの著書や発言も多い。新日本出版社からエッセイ集『人生は夢へのチャレンジ 女性科学者として』(1991年)、『科学する楽しさ 21世紀へのチャレンジ』(1996年)を出版している。 朝日賞選考委員。 == 略歴 == * 1943年:お絵かきをしていた時、母から「三角形の内角の和は二直角」と教えてもらい衝撃を受ける。それがきっかけで数学に興味を持つようになる(母は学年で一番の成績を保ち、現在の大阪府立春日丘高等学校を首席で卒業し、数学が得意だった。特に幾何の問題が得意で、春日丘高校を卒業後、主席教師方々からお茶の水女子大学も勧められたほどである。しかし、当時の女性教育については時代が熟しておらず、母は上級学校の進学を諦めざるを得なくなり、娘に数学を熱心に教え、夢を託した)。 * 1945年:出征中の父親がニューギニア・ソナムにて戦死。女4人の家庭の長女として育つ。なお、父が出征する前に、米沢は蓄音機に興味を持ちだし「(蓄音機の中に)小人がいるのではないか」と思い、わざと蓄音機を破損し、父に怒られてしまった。 * 1948年:小学校5年生のとき、知能テストでIQ175と判明〔その後、高校1年までに数回の知能テストを受けて常に170台をキープしていたが、「170台という数字は自分では不満で、実際には200以上でもとれたはずだと考えていた」「知能テストの問題は、どんなものかという大体の様子を一度知ってしまえば、出題者の意図が透けて見えるようになる。そういう場合には、出題者のIQまで推定できたりする」「問題作成時点で、170台以上のIQは想定されていなかったのだろう。問題数がもっとあれば、IQ200でも優に出せたのに、とずっと考えていた」と述べている(『まず歩きだそう』p.38-39)。〕。大阪府の小学校で1位の数値だった。 * 1950年:成績優秀につき、小学校卒業に際して大阪府知事賞を受ける。 * 1951年-1952年:中学1年から2年にかけて大阪の新日本放送(現・毎日放送)の「豆記者ホール」の記者として花柳有洸などの著名人のインタビューを行う。中学時代は数学部に所属し、高校課程の数学の多くを修得した。 * 1957年:大阪府立茨木高等学校卒業。高校時代は文芸部に所属し、詩や小説を執筆していた。 * 1961年:京都大学理学部物理学科卒業。同年12月、京都大学大学院理学研究科物理学専攻修士課程1年のときに結婚し、米沢姓となる。夫の米沢允晴は大学のサークル「エスペラント部」の部長で2年先輩であり、京都大学経済学部卒業後、山一證券に勤務していた。 * 1963年:6月、夫がロンドンに単身赴任。9月、夫を追いかけて渡英し、京大博士課程1年在学のままキール大学大学院に留学。ロイ・マクウィーニに師事。 * 1964年:1年間の英国留学を終えて日本に帰国。京大博士課程2年に復学。 * 1966年:1月、長女を出産。京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。夫の東京赴任に伴い、自身も東京に移り、東京教育大学物理学科に所属。朝永振一郎と会う。同年8月、京都大学基礎物理学研究所助手に採用され、長女と共に京都へ赴任。 * 1967年:8月、次女を出産。翌年にかけて、コヒーレントポテンシャル近似(CPA)に関する理論を発表。 * 1970年:東京工業大学理学部助手 * 1971年:8月、三女を出産。 * 1972年:夫のニューヨーク転勤に伴って渡米。イェシヴァ大学の客員研究員となり、ジョー・レボヴィッツの研究室で2年間を過ごす。 * 1974年:ニューヨーク市立大学大学院センター客員研究員 * 1975年:日本に帰国。 * 1976年:京都大学基礎物理学研究所助教授 * 1981年:慶應義塾大学理工学部助教授 * 1983年:慶應義塾大学理工学部教授。同年、乳癌で手術を受ける。 * 1984年:乳癌で二度目の手術を受ける。 * 1996年:3月26日、夫が肝臓癌で病死。 * 2004年:慶應義塾大学名誉教授 学外における役職 * 1996年-1997年、日本物理学会会長(女性として初)。なお、同じく京大理学部の1学年先輩である坂東昌子も、後に会長に就任。 * 2000年-2003年、日本学術会議第18期会員 その他 * 1998年-2000年、大佛次郎賞選考委員 * 2008年- 、朝日賞選考委員 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米沢富美子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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