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米田 純(よねだ じゅん、1963年5月5日 - )は東北楽天ゴールデンイーグルス創設メンバーで初代球団代表(2004年〜2012年)。現在は、海外で和食レストランを運営するPlentyUSA代表取締役社長。 == 人物 == 早稲田大学卒業後に西武百貨店に入社。池袋店紳士服での売場経験を経て池袋西武営業企画部に配属。その後、本部営業政策部、店舗運営部、つくば西武販売促進課長、本部営業企画部を歴任した後に、三木谷浩史との出会いをきっかけに39歳で西武百貨店を退職。2003年より楽天株式会社に入社。既存顧客マーケティング部門であるメンバープログラム部を立ち上げ、楽天ポイント倶楽部を創設し各種プロモーションを実施した。 2004年9月より(株)楽天野球団の前身であるプロ野球準備室を兼任し球団創設メンバーに抜擢される。2004年11月2日にプロ野球参入が正式に決定したと同時に、株式会社楽天野球団取締役球団代表兼チーム統括本部長に就任、41歳での球団代表就任は当時最年少。業務ではチームの立ち上げに携わり、選手編成・チーム運営・選手育成の各部門を統括する。運営面では2005年創設当初は施設も整わない中での運営となり、春期キャンプ地として久米島を設定、二軍施設として山形県の運動施設や県庁宿舎を寮代わりに借りて運営しながら現在の仙台市泉区にある二軍施設や本球場横にあるクラブハウスを建設した。また当時はスタッフも少なく自ら練習に参加し球拾いをした事も話題となった。同時に連盟担当として日本野球機構の理事として日本野球機構理事会および12球団実行委員会に出席した。チームとしては初年度に田尾安志を監督として招聘するも最下位に低迷し3年契約の田尾監督を1年で解任、記者会見では「勝てるチームに成長するために避けて通れない道」と表現したが、この解任について地元仙台市民が反対署名活動をするなど大きな批判を受けた。翌年2006年より野村克也を招聘、編成面では2006年高校生ドラフトで田中将大、大学社会人ドラフトで永井怜や嶋基宏、渡辺直人など後の主力戦力を指名し球団創設から5年目となった2009年に球団初のパシフィック・リーグ2位となりクライマックスシリーズに初出場した。2010年以降、野村監督の任期満了に伴う退任後は、マーティー・ブラウン、星野仙一を招聘した。星野監督初年度にはシーズン開幕前のオープン戦時に東日本大震災 が発生、開幕対応と選手会の対応や遠征先での選手による災害支援活動に奔走した。 2012年より取締役連盟担当としてプロ野球界に貢献する一方で、「和食文化・おもてなし文化を世界に伝え感謝される企業」を経営理念にレストラン経営の準備を開始し2013年4月にアメリカ合衆国ワシントン州のシアトルに現地法人プレンティーUSA.Incを設立。球団初の日本シリーズ優勝後の2014年3月で株式会社楽天野球団を退団し、4月にワシントン州ベルビュー市に1号店となる「らーめん山頭火 Bellevue店」を開店、翌年2015年2月、マサチューセッツ州ケンブリッジ市に2号店となる「らーめん山頭火 Harvard Square店」を開店した。2016年春にはボストン市に3号店を開店予定。また、2012年よりプレンティーUSAの株主である株式会社プレンティーの執行役員、2014年より株式会社福保の顧問、その他講演活動も行っている。また、プロ野球パシフィックリーグの参与。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米田純」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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