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籾山重幸 : ミニ英和和英辞書
籾山重幸[もみやま しげゆき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もみ]
 (n) unhulled rice
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [さち]
 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune 

籾山重幸 : ウィキペディア日本語版
籾山重幸[もみやま しげゆき]

籾山 重幸(もみやま しげゆき、1881年9月11日 - 1957年11月26日)は、日本海軍軍人
最終階級は海軍大佐
== 経歴 ==
愛媛県出身。士族 籾山重算の七男として生まれる。1901年(明治34年)11月、旧制松山中学(現:愛媛県立松山東高等学校)第9期卒業。1901年(明治34年)12月、海軍機関学校入学、1905年(明治38年)3月、海軍機関学校を卒業し少機関士候補生となり、日露戦争日本海海戦第二艦隊浅間」乗組として参戦、さらに第四艦隊鎮遠」乗艦、間宮海峡哨戒の任に就く。1905年(明治38年)12月、実地研究のため「出雲」乗組、後1906年(明治39年)3月「葛城」乗組、同4月韓国東海岸にて測量等の任に就く。同10月第一予備艦敷島」に乗艦の後、同11月韓国沿岸巡航、1907年(明治40年)7月佐世保帰着後、同8月、第二艦隊「新高」に乗組、韓国沿岸にて警備の任に就く。
1907年(明治40年)9月、海軍機関中尉任官。1908年(明治41年)12月、「」乗組。翌年第二艦隊配属。1910年(明治43年)12月、「磐手分隊長となり、爾後「千代田」(第二艦隊)「日進」(第三予備艦)の各分隊長などを歴任。1914年(大正3年)6月、「肥前」分隊長に着任。
1914年(大正3年)8月、獨國への宣戦布告となり「大正三四年戦役(第一次世界大戦)開戦」、亜米利加西海岸に於いて、英艦隊と協同索敵の任務に従事。1915年(大正4年)2月、横須賀港帰着。同年11月、大正天皇即位の礼」饗餞を賜る。
1915年(大正4年)12月佐世保鎮守府附機関長承命服務、1917年(大正6年)4月、海軍機関少佐に進級。「扶桑」(第一艦隊)分隊長歴任、1921年(大正10年)12月、海軍機関中佐に昇進。
爾後、戦役の功により、1922年(大正11年)11月、勲三等旭日瑞宝章を賜る。1924年(大正13年)2月、海軍省横須賀鎮守府「横須賀防備隊」機関長就任後、1925年(大正14年)12月、海軍機関大佐に昇進。同月予備役編入となる。1935年(昭和10年)9月後備役1942年(昭和17年)11月、勅令第61号改正により海軍大佐となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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