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籾山 重幸(もみやま しげゆき、1881年9月11日 - 1957年11月26日)は、日本海軍の軍人。 最終階級は海軍大佐。 == 経歴 == 愛媛県出身。士族 籾山重算の七男として生まれる。1901年(明治34年)11月、旧制松山中学(現:愛媛県立松山東高等学校)第9期卒業。1901年(明治34年)12月、海軍機関学校入学、1905年(明治38年)3月、海軍機関学校を卒業し少機関士候補生となり、日露戦争日本海海戦に第二艦隊「浅間」乗組として参戦、さらに第四艦隊「鎮遠」乗艦、間宮海峡哨戒の任に就く。1905年(明治38年)12月、実地研究のため「出雲」乗組、後1906年(明治39年)3月「葛城」乗組、同4月韓国東海岸にて測量等の任に就く。同10月第一予備艦「敷島」に乗艦の後、同11月韓国沿岸巡航、1907年(明治40年)7月佐世保帰着後、同8月、第二艦隊「新高」に乗組、韓国沿岸にて警備の任に就く。 1907年(明治40年)9月、海軍機関中尉任官。1908年(明治41年)12月、「潮」乗組。翌年第二艦隊配属。1910年(明治43年)12月、「磐手」分隊長となり、爾後「千代田」(第二艦隊)「日進」(第三予備艦)の各分隊長などを歴任。1914年(大正3年)6月、「肥前」分隊長に着任。 1914年(大正3年)8月、獨國への宣戦布告となり「大正三四年戦役(第一次世界大戦)開戦」、亜米利加西海岸に於いて、英艦隊と協同索敵の任務に従事。1915年(大正4年)2月、横須賀港帰着。同年11月、大正天皇「即位の礼」饗餞を賜る。 1915年(大正4年)12月佐世保鎮守府附機関長承命服務、1917年(大正6年)4月、海軍機関少佐に進級。「扶桑」(第一艦隊)分隊長歴任、1921年(大正10年)12月、海軍機関中佐に昇進。 爾後、戦役の功により、1922年(大正11年)11月、勲三等旭日瑞宝章を賜る。1924年(大正13年)2月、海軍省横須賀鎮守府「横須賀防備隊」機関長就任後、1925年(大正14年)12月、海軍機関大佐に昇進。同月予備役編入となる。1935年(昭和10年)9月後備役、1942年(昭和17年)11月、勅令第61号改正により海軍大佐となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「籾山重幸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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