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粕壁銀行(かすかべぎんこう)はかつて埼玉県南埼玉郡粕壁町(現在の埼玉県春日部市)に本店をもって営業していた銀行。1895年(明治28年)12月28日に資本金10万円で設立された。1920年(大正9年)に武州銀行に合併し消滅。 == 沿革 == 粕壁町(現在の春日部市)は古くから日光街道の宿場街として栄えた場所で特産は桐箪笥、麦わら帽子、麦わら細工などの家内手工業が盛んであった。2007年現在も桐箪笥、麦わら帽子は一時期の隆盛に比べては遥かに少ないが春日部市の特産物になっている。 粕壁銀行は当時の粕壁町の田村新蔵、清水勝右衛門、練木市右衛門、清水寿太郎、山田半六、厚見弥兵衛らにより運営された。開業は1896年(明治29年)1月3日であり、3月24日には埼玉県北葛飾郡幸手町に支店を置いた。業況は順調に推移し1898年(明治31年)2月には資本金を20万円に増資している。時節、支配人が米相場で失敗して行金を8万円ほど費消したことが1900年(明治33年)12月に大蔵省の検査で発覚した。このため1901年(明治34年)1月12日から取り付けにあったようである。粕壁銀行はとりあえず、越ヶ谷の相場師鈴木久五郎の実兄鈴木兵右衛門に15,000円を一時借用して当座をしのぎ、中井銀行か5万円、帝国商業銀行から75,000円を借り入れ危機を切り抜けた。しかしこの醜事の影響が大きく、業況の回復は遅かった。1902年(明治35年)12月末の決算報告では主要勘定などは次の通りとなった。資本金20万円(うち払込12万円)、積立金2000円、預金193,602円、貸付金159,876円、割引手形92,595円、株式配当年2分、株主数156名、役員、従業員18名そのうち8名が役員だった。 1915年(大正4年)10月、資本金10万円に減資したが1920年(大正9年)、武州銀行に合併となった。武州銀行にとって銀行合併は初めての合併だった。粕壁銀行の支店は幸手の他、岩槻、大宮、草加に支店を設置した。その支店は武州銀行(埼玉銀行の前身)の各支店として営業したようである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「粕壁銀行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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