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杭皇后(こうこうごう、? - 1456年)は、明の景泰帝の皇后。 == 生涯 == 庶民であった杭昱の娘として生まれた。正統年間、郕王朱祁鈺(のちの景泰帝)の邸に入り、側室となった。朱見済を産み、土木の変により景泰帝が即位すると、妃になった。 景泰3年(1452年)、景泰帝は甥の皇太子朱見深(のちの成化帝)を廃すと、実子の朱見済を皇太子に立てようと図った。汪皇后が反対したが、景泰帝は激怒して汪氏を廃し、代わって杭氏が皇后に立てられた。父の杭昱は正三品指揮使に封じられた。しかし翌年、朱見済は夭折した。景泰7年(1456年)、杭皇后は崩じた。粛孝皇后と諡された。 奪門の変後、重祚した英宗は実子の朱見深が廃太子された恨みを忘れず、杭氏を追降し(諡号を剥奪した)、杭氏の陵墓を暴き、杭氏の親族を貶めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杭皇后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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