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女娃(じょあ、じょあい)は古代中国の神女乃至は女神。 『山海経』北山経に拠れば〔北次三経発鳩之山条。〕天帝の1柱として南方を守護する炎帝神農氏の少女(末女)で〔巫山の瑤姫(『襄陽耆旧伝』)や赤松子を追って昇仙した炎帝少女(『列仙伝』)も炎帝の末女と伝えられており、炎帝には少なくも3人(柱)の末女がいた事が判明している。〕、東海地方(推定現中華人民共和国山東地方辺の黄海沿岸部)を遊歴中に海に溺死し、その恨みを晴らすべく鳥と化して太行山脈に属す現中華人民共和国山西省の発鳩山(はつきゅうさん)〔前掲発鳩之山条の郭璞注に発鳩山は上党郡長子県(現中華人民共和国山西省長子県)の西に位置するといい、袁珂に拠れば発苞(はつほう)山とも鹿谷(ろくこく)山とも廉(れん)山とも称される山に比定されるという(『山海經校注』山經柬釋巻3發鳩之山条、上海古籍出版社、1980年)。で、多分。〕に棲み、東海を埋めんと周囲の山から木石を銜え運んで海中に投下するようになったといい、化した後の姿は烏に似て頭に文様があり嘴は白く足は赤く、「セイエイ、セイエイ」と鳴くが為に精衛(せいえい)と名付けられた〔原文「其鳴自詨(其の鳴くこと、自ら詨(よ)ぶ)」とあるが、これは鳴き声を鳥名とした事を表す(高馬三良訳『山海経』(中国古典文学大系第8巻、平凡社、昭和44年所収)南次二経柜山条の訳注。前野直彬訳『山海経』(全釈漢文大系第33巻、集英社、昭和50年所収)南次三経禱過之山条語注等)。但し、日本語版である事を顧慮して便宜的に音訳した。現代の普通話では「チンウェイ(jīng-wèi)」となる。〕という。 『述異記』はこれを承け〔現行本上巻。〕、彼女の化した精衛が帝女雀(ていじょじゃく)とも呼ばれた事、溺死地は東海に注ぐ川の精衛誓水処という地で精衛はそこの水を呑まないと誓っている為に誓鳥(せいちょう)〔「鳥誓」に作る版もある。〕、又は志鳥(しちょう)と呼ばれ、更には寃禽(えんきん)〔「禽」は鳥で「寃」には「うらみ」の義がある。〕とも呼ばれた事、精衛は海燕と偶して子を産むが、その雛は雌鳥だと精衛に、雄鳥だと海燕に似た姿に育つといった事を誌す。 ところで『山海経』において帝(天帝)と何らかの繋がりを持つ者で死後の転生が語られる場合、その存在はある部族に信奉された神であったと類推され〔松田稔『『山海經』の基礎的研究』第3章第10節「轉生の神話」、笠間書院、平成7年。〕、また汎世界的に天地創造の最高神が鳥等の小動物に命じて「原初の海」の底から泥を汲み上げさせて大地を造成したと語る「潜水型」と呼ばれる創造神話が分布し、精衛の東海を填めんとする行為はそうした神話類型の幽かな残影である可能性が想定されるので、或いは彼女はかつては天地創造を果たした偉大な女神であったが男性優位の父権制が蔓延した結果、落魄して炎帝の女にしてその意思を代行する使者という下位的位置に組み込まれ〔因みに、春秋時代に山東地方一帯に覇を唱えた斉の姜氏は炎帝に出るという。〕、更にその痕跡すらも忘却されて本来の神話の矮小化された一説話のみが遺されたといった過程も推測出来る〔森雅子『神女列伝』第1部第1章「神女列伝」、第8章「中国の女神」、慶應義塾大学出版会、2013年。〕。また、少女とは未婚の若い女人を意味すると思われるのでそこにはかつての神妻として捧げられた女人の人身御供の習俗が反映したものと考えられ〔松岡正子「形天 - 『山海經』における「尸」と「舞」について」『中國詩文論叢』2、中國詩文硏究會、1983年。神妻として捧げられた女人の例としては『史記』滑稽列伝に付加された西門豹の逸話が挙げられる。〕、或いは『述異記』の誌す海燕との婚姻はそうした説話の悲劇性を緩和させる目的で付加されたものとも考えられる〔前野前掲訳書北次三経発鳩之山条補注。森前掲「神女列伝」。〕。 == 精衛填海 == 女娃の故事から、不可能な企ての実現に努めるが遂に徒労に終わる事の喩えとして「精衛海を填(うづ)む」(精衛填海(せいえいてんかい))という成語が生まれ〔鈴木棠三編『新編故事ことわざ辞典』創拓社、1992年。尾上兼英監修『成語林』旺文社、1992年。〕、これはまた「精衛石を啣(ふく)む」(精衛啣石(せいえいかんせき))」ともいう〔明丘濬『故事成語考』地輿。〕。 劉宋の陶淵明も「読山海経」と題する連作五言詩の第10首でこの故事を詠むが(右参照)、人外(物)に変じても尚激しい意志(猛志)を持ち続ける彼女を謳い上げつつもその意志の報われる朝(良晨)は決して迎えられないであろうと結ぶ事で、詳細は不明であるが彼女の「猛志」に重ねた晴らされざらむ自身の鬱憤を諦念を混えて吐露したものであったと考えられる〔釜石前掲鑑賞。〕。 なお、逆にこの故事を悲壮な状況へ陥落した後も強靱にして不屈の意思を示すものと肯定的に解する向きもある〔袁珂(鈴木博訳)『中国の神話伝説』上、黄炎篇第1章、青土社、1993年。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「女娃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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