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糸洲 安恒(いとす あんこう〔「やすつね」と訓読みでふりがなを振る書籍が一部にあるが、琉球士族の名乗(なぬい・和名)は音読みが原則である。〕、1831年 - 1915年3月11日)は、沖縄県の唐手(からて、現・空手)家。琉球王国時代から明治にかけて活躍した唐手の大家であり、唐手の「近代化」に着手した最初の人物としても知られる。 == 経歴 == === 生い立ち === 糸洲安恒は、1831年(天保2年)、首里山川村(現・那覇市首里山川町)に生まれた〔「拳法大家逝く」琉球新報1915年(大正4年)3月13日記事。〕。糸洲家は、馮光盛・諸見里親方安春(ひょうし・もろみざとうぇーかたあんしゅん)を元祖とする諸見里家の支流(分家)であり、家格は筑登之(チクドゥン)筋目(下級士族)に属する首里士族であった。当時の首里では、向氏、翁氏、馬氏、毛氏が四大名門であり、これらの血統が王府の役職を独占していた。それゆえ、馮氏の糸洲家は、就職では決して有利な地位にはなかった。しかし、糸洲安恒は生来優秀であったのだろう、難関の科(コー・科挙)に合格し、双紙庫理(ウソーシグリ)・書院の右筆相附(副書記)として王府に勤めはじめ、後には右筆(書記)に昇進した。琉球王国時代の糸洲の正式称号は、糸洲筑登之親雲上(チクドゥンペーチン)安恒である〔『氏集』には「糸洌(いとす)筑登之親雲上」とある。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「糸洲安恒」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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