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沖縄戦跡国定公園(おきなわせんせきこくていこうえん)は、沖縄県の沖縄本島南端部、糸満市と島尻郡八重瀬町にまたがる、第二次世界大戦(沖縄戦)の戦跡と自然景観を有する国定公園である。 == 概要 == 沖縄戦跡国定公園の広さは81.3km²(陸域31.27km²、海域50.03km²)。戦跡としては唯一の国定公園である。 1965年(昭和40年)、琉球政府立公園に指定され、1972年(昭和47年)の本土復帰に伴い、国定公園に指定された。 公園内の戦跡は沖縄戦最大の激戦地であり、終焉地である。1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍の攻撃により、首里(那覇市)にあった日本軍司令部は、この沖縄本島南端部(島尻)に撤退した。狭い島尻には、南下侵攻するアメリカ軍、避難してきた一般住民と撤退・抗戦する日本軍の軍人が混在し、パニック状態に陥った。結果、狭隘な地形に敵味方が入り乱れる大混戦となり、6月18日にはアメリカ軍沖縄方面最高司令官サイモン・B・バックナー中将も戦線視察中の真栄里で日本軍の砲撃を受けて致命傷を負い、戦死している。日本軍による組織的抵抗は、6月23日に司令官・牛島満中将が摩文仁の司令部壕で自決したことにより終了したが、アメリカ軍は翌7月初めまで掃討戦を続けた。 沖縄県は日本軍の組織的抵抗が終了した6月23日を「慰霊の日」としている。例年この日には、摩文仁の平和祈念公園で、県主催の沖縄全戦没者追悼式が行われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沖縄戦跡国定公園」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Okinawa Senseki Quasi-National Park 」があります。 スポンサード リンク
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