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紀元前394年は、ローマ暦の年である。当時は、「カミルス、ポプリコラ、メドゥリヌス、アルビヌス、マメルキヌス、スキピオが護民官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元360年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前394年と表記されるのが一般的となった。 == できごと == === ギリシア === * コリントス戦争(紀元前395年 - 紀元前387年) * 同盟を組んだアテナイ、テーバイ、コリントス、アルゴスは、コリントスに大きな兵力を集結させた。スパルタはこの大軍に対して、さほど大きくない規模の部隊を送り込んで挑発した。両軍はコリントス領内のネメア川の河原で対峙した。このネメア川の戦い (Battle of Nemea) で、スパルタは同盟軍に対して大勝利を収めた。 * アテナイの将軍コノン、アケメネス朝ペルシア帝国のサトラップ(太守)ファルナバゾス2世、サラミスの王エウアゴラス (Evagoras) の連合艦隊は、ロドス島近くで戦われたクニドスの海戦 (Battle of Cnidus) で、ペイサンドロス (Peisander) 率いるスパルタ艦隊に大打撃を与え、圧倒的な勝利を収めた。海戦の後、コノンとファルナバゾスは、イオニア沿岸を航行し、イオニアの諸都市からスパルタ人の総督や守備隊を追い立てていったが、ヘレスポントス(ダーダネルス海峡)のアビュドス (Abydos) とセストス (Sestos) のスパルタ勢の力を削ぐことはできなかった。スパルタによる広大な帝国建設の野望が揺らぎ、エーゲ海の覇権はペルシア帝国が握るようになった。 * 両軍は、テーバイ領ボイオーティアのコロネイア (Koroneia) で再び激突し、コロネイアの戦いが起こった。勝利は再び、スパルタ王アゲシラオス2世率いるスパルタ軍のものとなった。戦いの後、アゲシラオスはスパルタ軍とともに海路でコリンティアコス湾を渡り、スパルタへ帰還した。 * テゲア (Tegea) のアテナ・アレア神殿 (Athena Alea) が焼失したが、パロスのスコパスの設計により、すぐに再建された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀元前394年」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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