翻訳と辞書
Words near each other
・ 紀国守
・ 紀国造
・ 紀国造家
・ 紀在昌
・ 紀堅麻呂
・ 紀夏井
・ 紀多寛
・ 紀大人
・ 紀大磐
・ 紀大音
紀太后
・ 紀太藤一
・ 紀央館高校
・ 紀央館高等学校
・ 紀姓伊集院氏
・ 紀子
・ 紀子の食卓
・ 紀子妃
・ 紀宇美
・ 紀安雄


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

紀太后 : ミニ英和和英辞書
紀太后[きさき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

太后 : [たいこう]
 【名詞】 1. empress dowager 2. queen mother
: [きさき]
 【名詞】 1. empress 2. queen

紀太后 : ウィキペディア日本語版
紀太后[きさき]
紀太后(きたいごう、? - 1475年)は、成化帝の妃嬪で弘治帝の母。ヤオ族の出身で、明で姓を紀氏とされた。元の名は李唐 妹(りとう まい)と伝わる。
== 経歴 ==
広西賀州のヤオ族の「李公」と「唐母」(チワン語を音訳した漢字表記)の娘として生まれた。明軍南征の際、家を滅ぼされ捕虜となって北京に送られ、後宮に入り女史(女官)となった。
成化6年(1470年)、成化帝の目にとまり、迫られ関係して妊娠した。万貴妃による懲罰を恐れ、堕胎薬を飲まされたものの堕胎に失敗し、安楽堂(宮女と宦官の葬儀場)の用人となった後に朱祐樘(のちの弘治帝)を産んだ。紀氏は自ら祐樘を殺そうともしたが、太監(宦官)の張敏に止められた。以後、祐樘は呉廃后が密かに育てた。
成化11年(1475年)、成化帝と万貴妃は祐樘の存在が明らかになるとこれを認めたが、紀氏はまもなく急死した。紀氏は淑妃を追贈され、恭恪荘僖とされた。弘治帝が即位すると皇后を追贈され、孝穆慈慧恭恪荘僖崇天承聖純皇后と追諡された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「紀太后」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.