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紀太 藤一(きた とういち、1879年9月9日 - 1936年10月7日)は、教育者、英語学研究者、翻訳家、英語文法書著者。 父は紀太武一郎、母は、しかの(旧姓、石川)。妻はつる(旧姓、矢内) == 略歴 == * 1898年(明治31年)3月東京私立明治義會中学校卒業。 * 1898年(明治31年)4月-1900年(明治33年)3月 東京私立青山学院高等科にて修学。 * 1900年(明治33年)4月-1901年(明治34年)3月 東京私立正則英語学校英文科にて英語の研究を行う。 * 1901年(明治34年)6月 茨城県立土浦中学校(現在の土浦第一高等学校)教諭心得拝命。 * 1902年(明治35年)3月 文部省中等教員英語科検定試験合格 * 1905年(明治38年)同校舎監心得拝命(舎監=寄宿舎を管理・監督するもの)。 * 1906年(明治39年)9月 茨城県立土浦中学校を依願退職。 (茨城県立土浦中学校創立百周年記念誌「進修百年」H9.11.1、茨城県立土浦第一高等学校創立百周年記念誌編さん委員会編集、同記念事業実行委員会発行。在職記念一覧p225参照) * 1910年(明治43年)4月-1911年(明治44年)3月 東京私立正則英語学校にて英語を教授する。 * 1911年(明治44年)4月-1916年(大正5年)3月 日本大学にて英語を教授する。 * 1912年(大正元年) 矢内つると結婚(東京上野精養軒にて) * 1916年(大正5年)3月-1917年(大正6年)6月 中央大学にて英語を教授する。 * 1917年(大正6年)6月以降、千葉県保田町(現在の鋸南町)に居住して、英語に関する著作に従事する。 * 1927年(昭和2年)4月より亡くなるまで東京私立赤坂中学校(現在の日本大学第三中学校・高等学校)教員。 * 1936年(昭和11年)10月病気により死亡。享年58。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀太藤一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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