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紀 豊城(き の とよき、生没年不詳)は、平安時代初期の人物。美濃守・紀善峯の子。無官位。 == 経歴 == 勝手気ままに振る舞う性格であったことから、しばしば異母兄の紀夏井から厳しく責めたてられた。これを苦にして豊城は大納言・伴善男のもとへ身を寄せてその従僕となる。貞観8年(866年)に発生した応天門の変では、豊城は伴善男・中庸親子らとともに首謀者とされる。本来は斬刑に当たるところ減刑され、安房国への流罪となった〔『日本三代実録』貞観8年9月22日条〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紀豊城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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