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紅谷 愃一(べにたに けんいち、1931年6月7日〔雨あがる 、''asmik-ace.com'', 2009年11月3日閲覧。〕 - )は、日本の録音技師である。日本映画・テレビ録音協会代表理事。 == 来歴 == 1931年(昭和6年)6月7日、京都府京都市中京区で、代々「近江屋藤兵衛」の屋号で染物屋を営む家の5人きょうだいの末っ子として出生〔紅谷、p.24〕。1944年、旧制中学の京都市立第一工業学校電気科に入学。1948年の学制改革で京都市立洛陽高等学校(現・京都市立洛陽工業高等学校)となる。同級生には大島渚がいた〔紅谷、p.25〕。1949年3月に卒業し、電気工事のアルバイトをして就職浪人しているときに級友の紹介で大映京都撮影所に臨時雇用され、同撮影所の録音課に配属された〔紅谷、p.26、31〕。1951年、吉村公三郎監督の『源氏物語』の撮影終了後に正社員となる〔紅谷、p.31〕。 1954年5月、大映の先輩で日活に移籍することになった橋本文雄に志願して、自らも日活撮影所へ移籍した〔〔紅谷、pp.34-35〕。録音技師の神谷正和に録音チーフ助手としてつき師事した〔紅谷、pp.48-49〕。1965年、牛原陽一監督の『三匹の野良犬』で録音技師に昇進する〔紅谷、p.58〕。専属契約制度だった日活がメインスタッフを除くスタッフの社員化の方針を打ち出し、専属契約から日活社員となる。録音技師として3本を担当すると、メインスタッフ扱いとなり再び専属契約となる〔紅谷、pp.58-59〕。 1980年、『復活の日』の撮影を最期に日活との専属契約をやめて、以後、フリーランスとして活動〔紅谷、p.102〕。 日本の録音技師の職能団体「日本映画・テレビ録音協会」の代表理事を務める。 2009年10月から『東京新聞』『中日新聞』に回顧録を58回連載。加筆して2011年に初の著書『日本映画のサウンドデザイン』を出版した〔紅谷、p.203〕。 2010年には旭日小綬章を受勲した〔【秋の叙勲】旭日小綬章 芸術文化功労 映画録音技師、紅谷愃一さん(79) 47NEWS(産経新聞) 2010年11月3日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紅谷愃一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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