|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 純 : [じゅん] 1. (adj-na,n) pure 2. innocent 3. chaste ・ 太子 : [たいし] 【名詞】 1. Crown Prince ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
純陁太子(じゅんだ たいし、? - 513年?8月?)は、百済の王族。武寧王の子。和氏(高野氏)の始祖。 == 概要 == 『続日本紀』延暦8年12月28日の皇太后高野新笠の薨伝に :「皇太后、姓は和氏、諱は新笠、贈正一位乙継の女なり。母は贈正一位大枝朝臣真妹なり。后の先は百済武寧王の子純陁太子より出ず。今上(桓武天皇)、早良親王、能登内親王を生めり。、、、その百済の遠祖都慕王は、河伯の女、日精に感でて生める所なり。皇太后は即ちその後なり。」とある。 『日本書紀』継体天皇7年(西暦513年?)8月項に、「百済太子淳陀薨」とあり、純陁と淳陀が同一人物ではないかと考える学者も存在する。ただし、朝鮮側の資料には武寧王の子として純陁、もしくは淳陀に比定できる人物が存在していない。 また、『日本書紀』武烈天皇7年(西暦505年?)4月項に、百済から遣わされた「百済国主の骨族」斯我君があり、その子・法師君は倭君の祖とあるが、純陁との関係は不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「純陀太子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|