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紙カード : ミニ英和和英辞書
紙カード[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

紙カード ( リダイレクト:パンチカード ) : ウィキペディア日本語版
パンチカード[ちょうおん]

パンチカードとは、厚手のに穴を開けることで、その位置や有無から情報を記録するメディア。また、アナログの情報管理のための「カード・システム」で使用される、多角検索のためのツールなどもパンチカードの名で呼ばれる。
コンピュータや、自動織機などで多く利用されたが、記録メディアとしての役割は、2014年現在ではより便利な代替品が出ていることから、ほとんどなくなっている。
だがパンチカードそのものは駆逐され消えつつあるものではなく、現代(2014年)でも現役のツールである。使用例の1つは選挙の投票用紙であり、あるいはより身近な、趣味的なところではオルガニートで触れることができる。
== 歴史 ==

穴の開いたロール紙をはじめて織機に使用したのは1725年頃である。バジル・ブション(Basile Bouchon)とジャン=バティスト・ファルコン(Jean-Baptiste Falcon)の2人であり、1745年ジャック・ド・ヴォーカンソンがこれを完全自動織機にした。1801年にフランスのジョゼフ・マリー・ジャカールがそれを大きく改良しパンチカードにし、自動織機を制御して複雑な模様の布を織るために使用され、世紀を超えて使用され続けた。織機などで多く利用されたのは、コンピュータをそれに応用しようという考えからではなく、むしろこちらのほうが元祖であったゆえである。
機械の制御ではなく、情報の格納手段としてパンチカードを最初に使ったのはとされている。コルサコフは彼の考案した技法と機械を1832年9月に発表し、特許を取得せずに機械を公的な用途に供した〔Korsakov's "Intellectual machines" 〕。
チャールズ・バベッジはジャカールの機械(ジャカード織機)をヒントにして、パンチカードをプログラム格納に使う計算機(解析機関)を構想した。だが彼が構想した計算機は、その存命中には実現しなかった。バベッジはこれを "Number Cards" と呼び、歯車機構に連動している一連のレバーに押し付け、穴の空いていない部分のレバーが押されることで歯車機構が動き、数値を伝えるとした。
ジャカールの自動織機に触発されたのはバベッジだけではなかった。パンチカードを使って「革命」を起こした人物がアメリカにいた。当時、大規模な移民の受け入れにより急激に人口が膨張しつつあったアメリカでは、1880年国勢調査1889年になっても集計が完了しないという問題を抱えていた(これには、単純な人口の増加だけではなく、集計する項目が増えたために当初の手作業システムが破綻したのだと言われる)。計算している間に人口が大きく変動してしまうこの状況を解決したのがハーマン・ホレリスが発明したパンチカードによる集計機タビュレーティングマシンで、これによって集計のスピードは10倍になったという。ホレリスは当初データ格納媒体としてさん孔テープを試したがうまくいかず、パンチカードにたどり着いた〔Columbia University Computing History – Herman Hollerith 〕。ホレリスはまた文字コードも考案し、これはホレリスコードと呼ばれている。
当時は手書きで記録を取り、それを事務所に持ち帰ってパンチカードに転記するという手間を踏んでおり、かつホレリスの集計機自体も1回1回人間が処理の仕方を設定する必要があるなどの欠点があったが、その圧倒的な処理能力は「驚異のテクノロジー」と賞賛され、政府機関だけではなく様々な分野で使用されていくことになる。多数の顧客情報を処理しなければならない保険会社などでも使われた。後に電気式加算機の計算機構を組み込んでかなりの計算ができる機械が登場し、会計処理だけでなく科学技術計算にも使われるようになった。このようなプログラム内蔵式でないコンピュータともいうべき機器は電子式コンピュータが登場した後もしばらく使われ続けた。
ホレリスは1枚のカードに80項目、1項目につき12種類の選択肢の情報が記録できるような仕様を策定した。このカードはサイズを身近な1ドル紙幣と同一にし、普及のために低額で販売したため、事実上の標準となった。特に「1行 80項目(桁)」は、FORTRANを筆頭としてその後長く受け継がれていくことになる(後述)。そして1896年、この事業のためにホレリスが興した「タビュレーティング・マシーンズ社」は、幾度かの統合を経て巨大企業IBMの母体となっていく〔History of the punch card

1950年代まで、パンチカードはデータ入力やデータ保管、データ処理の主な手段として使われた。IBMの記録によれば、IBMは1937年にはニューヨーク州エンディコットに32のパンチカード工場を持ち、毎日500万枚から1000万枚のパンチカードを生産していた〔IBM Archive: Endicott card manufacturing 〕。パンチカードはアメリカ合衆国連邦政府の小切手や貯蓄債券など法的書類にも使われていた。1950年代、UNIVAC I の入出力装置UNITYPERが新たなデータ入力手段として磁気テープを導入した。1960年代には磁気テープを採用するコンピュータが増えていき、パンチカードから高速で書き換えの効く磁気テープへの移行が徐々に進行した。1965年、Mohawk Data Sciences はキーパンチの代替として直接磁気テープにタイピング内容を記録する磁気テープエンコーダという機器を発売し、ある程度の成功を収めた。それでもパンチカードはデータおよびプログラム入力手段として1980年代中ごろまで使われ続けた。1952年発売のIBM初の商用コンピュータIBM 701や、大ヒットとなったSystem/360のデータ入力の基本は80長方形の穴の「ホレリスコード」のパンチカードである。またUNIVACなどのコンピュータでは丸穴の90桁のカードが使われた。
元々機械的な装置だった時代にアウトラインが決まったものであるため比較的大きく、トランジスタ化などコンピュータの進歩に合わせ小型化したものも試作されたりしているが、既にデファクトスタンダードとして普及してしまったものを置き換えるには至らなかった。
またパンチカードにプログラムを記述するに際は、一つ一つ順々に穿孔していくのではなく、効率化の為に鉛筆などを用いて書き込んでおき、あとでまとめて孔を穿っていた。大規模開発の場合はプログラマがプログラムシート(紙)に鉛筆などで記入後、キーパンチャーと呼ばれる人間に渡し、カード穿孔機で一括処理してもらうなど分業化も進んでいた。
パンチカードの利点は、行単位の編集が容易であるということがある。プログラムの1行がパンチカードの1枚になるため、内容を修正したい場合は、修正行に相当するカードを差し替えるだけでよい。また、ブロック単位に移動する場合もカードを入れ替えるだけで済む。紙テープの場合には編集の際に、物理的な切り貼りを行なう必要があることを考えると非常に効率的である。
難点としては、パンチカードの束(ガードデック)を落としてしまうと並べ直すのが大変で、打ち直した方が速いとか、並べ直し易いように事前にカードデック上部に斜線を引く、などの工夫もされた。
1980年代中ごろ、磁気ディスク端末が低価格化し、安価なミニコンピュータが普及したため、パンチカードはコンピュータへのデータ入力手段としての役目をほぼ終えた。それでも、多くの業界標準規格やファイルフォーマットにパンチカードの影響が残っている。パンチカードの代替となった IBM 3270 などの端末は、既存のソフトウェアとの互換性を考慮して一行の表示文字数をパンチカードと同じ80文字とした。グラフィカルユーザインタフェースは可変幅のフォントも表示可能だが、1行80文字を前提としたプログラムは今もある。
少数のレガシーシステムや特殊な用途を除き、コンピュータ関連の記録媒体としてのパンチカードはほぼ他の媒体に置換された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「パンチカード」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Punched card 」があります。




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