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紙敷(かみしき)は、千葉県松戸市の地名である。現在、一部が土地区画整理組合による土地区画整理事業によって開発が進行中である。かつては紙敷、紙敷一丁目、紙敷二丁目、紙敷三丁目に分かれていた(郵便番号270-2221)。 2011年9月の松戸市議会定例会において、紙敷の一部を町名地番変更により東松戸一丁目、東松戸二丁目、東松戸三丁目、東松戸四丁目の4つに変更されることが決議され、2012年2月25日から実施された。同時に「東松戸」の郵便番号として270-2225が新たに設定された。紙敷一丁目、紙敷二丁目、紙敷三丁目は変更されていない。 == 地理 == 松戸市の南部に位置し、起伏の多い地区である。中心にはJR武蔵野線と北総鉄道の交差点・東松戸駅がある。松戸市串崎南町・松飛台・田中新田・河原塚・和名ケ谷・大橋・秋山・高塚新田、市川市大町と隣接する。 明治時代~大正時代まではこの地区は樹林であった。昭和時代から畑として使用され、昭和後期~平成に入ると住宅・商業地として使用された。1990年代の東松戸駅開業と共に周辺の開発が進んだ。松戸市および区画整理組合の事業は一時停滞したが、再減歩と松戸市のてこ入れにより軌道に乗り、2012年2月に本換地処分が完了した。2017年3月末を予定している区画整理組合の解散に向けて最終段階の整備が続いている。東松戸駅#駅周辺も参照されたい。 紙敷地区は、もと葛飾郡に属し、1889年(明治22年)の町村制施行時には東葛飾郡八柱村大字紙敷であった。八柱村は1938年(昭和13年)、松戸町に編入。1943年には松戸町の市制施行に伴い松戸市大字紙敷となった。区画整理の進展に伴い、2001年に紙敷一丁目、2003年に紙敷二丁目、紙敷三丁目が成立、2012年に東松戸一丁目~四丁目が成立した。現行の行政地名は、紙敷、紙敷一丁目~三丁目、東松戸一丁目~四丁目の8地区に分かれる。 これら8地区の人口・世帯数は次の通りである〔 松戸市字別世帯数人口表、松戸市〕。紙敷地区の人口は近年大きく伸びており、特に「紙敷」の人口は、2007年から2010年までの3年間で約43%増加した。地区内には「湯浅」姓の世帯が多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紙敷」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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