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紫式部日記絵巻(むらさきしきぶにっきえまき)は、紫式部によって記された『紫式部日記』を元に制作された絵巻物。「紫式部日記絵詞」( - えことば)ともいう〔国宝・重要文化財の指定名称は「紫式部日記絵詞」である。〕。 == 概要 == 絵画様式や料紙装飾の検討から、鎌倉時代初期、1220年から1240年頃の制作と推測される。現存箇所から推測するに『紫式部日記』のうち、絵画化に適さぬ消息文や人物評を除いたほぼ全文を適宜分節して絵画化し、詞書を添えた絵巻で、当初は絵と詞書が各50~60段、全10巻程の大規模な構成であったと考えられる。現在残っているのは、絵24段、詞書24段(内1段は田中親美による模写)の4巻分で、全体の4割程度、『紫式部日記』全体からすると25%ほどである。ただ、絵2図は対応する詞書がなく、逆に2段の詞書は絵が伴わない。現存4巻は伝来や(旧)蔵者名から日記の記載順に、蜂須賀家本、藤田家本、旧森川家本、旧久松家本(日野原家本)と呼ばれている(詳細は後述)。 各巻の伝来と、旧久松家本などに付された添状や極書から判断すると、江戸時代初期には現状に近い内容で構成され、1巻ずつ諸家に分蔵されていたようだ。更にこの時期、この絵巻は『栄花物語絵巻』と呼ばれ、伝称筆者は藤原信実、詞書は全て同一筆者で九条良経とされた。『栄花物語絵巻』と混同されたのは、栄花物語の「初花」の巻が『紫式部日記』を原史料として利用しているため、共通の場面を多く含むことに起因する誤りである。また藤原信実筆の伝承も、時代的には合致するものの、信実唯一の真筆とされる『後鳥羽院像』(水無瀬神宮蔵)と比べると画風が異なり、場面によりわずかだが画風が異なることから、優れた職業画人・宮廷絵師による工房制作だと推察される。詞書についても、良経が創始した「後京極流」の書風ではあるものの、良経自身の遺墨と比べると詞書のほうが古風で、王朝風の流麗さ、繊細さを留めており、別筆である。 物語絵巻としては平安時代後期の『源氏物語絵巻』の系統をひく、下書きの墨線を岩絵具で全面的に塗り隠し、その上から細い墨で輪郭線を描き起こしたり、精緻な彩色を加えて画面を仕上げていく濃彩作絵(つくりえ)の技法である。しかし、『源氏物語絵巻』と比べると、そのプロセスは単純化され、画面効果も明快ですっきりとしたものになっている。投影法も、斜投影法が多い『源氏物語絵巻』と違い、等軸測投影を現存24図の内、現存最初の場面である蜂須賀家本第一段を除くいた23図で用い、画面に鋭い緊張感と機知性を生んでいる。引目鉤鼻(ひきめかぎはな)の顔貌形式も、細い線を重ねて丁寧に描かれた『源氏物語絵巻』に対し、弾みと切れ味ある線描に変わっており、人物の感情表現がよりはっきりと描かれている。平安時代物語絵の表現法に、こうした新しい要素が加わったのは、時代降下による変化や崩れと云うより、作絵や引目鉤鼻と言った伝統技法を踏まえつつ、新しい時代の好みにあった別種の表現を生み出そうとする積極的な意図が働いたと見るべきであろう。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紫式部日記絵巻」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Murasaki Shikibu Diary Emaki 」があります。 スポンサード リンク
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