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『紫禁城の落日』(しきんじょうのらくじつ)は、宝塚歌劇団星組で上演されたミュージカル作品。1991年11月1日 - 12月15日に宝塚大劇場、1992年3月5日 - 3月31日に東京宝塚劇場で上演された。 当時の星組トップコンビ、日向薫と毬藻えりのサヨナラ公演であった。 大劇場での公演中、登場人物である愛新覚羅溥傑本人が観劇に訪れ、溥傑役を演じた2番手男役紫苑ゆうが大変緊張したとの逸話がある。また、主演の日向薫の祖父は海軍に在籍中、来日した愛新覚羅溥儀を出迎えた経歴がある。 == あらすじ == 辛亥革命後、形骸と化した清王朝の再興に燃える若き皇帝、愛新覚羅溥儀(日向)は1922年、2人の妻と結婚する。側室の文繍(英りお)は楚々とした聡明な女性だったが、溥儀は正妻である婉容(毬藻)の率直さ・朗らかさに強く惹かれる。婉容もまた、優しく頼もしい溥儀に思いを寄せるが、宮廷の慣習に戒められる二人は、徐々にすれ違いを重ねてゆく。 1924年、クーデターが勃発し、溥儀は紫禁城退去を余儀なくされ、日本軍の中将・吉岡(麻月鞠緒)から満州への亡命と、新帝国皇帝としての即位を勧められる。紫禁城の仰々しい慣習に辟易していた婉容はこれを喜ぶが、溥儀は清朝の象徴である紫禁城を守りきれなかったことを悔やみ、玉座と居城の奪還を、固く誓うのであった。 しかし、満州での生活は、溥儀・婉容両人にとって過酷なものであった。溥儀は、皇帝とは名ばかりの傀儡として扱われ、ことあるごとに日本軍の干渉と愚弄を受ける。婉容は、紫禁城時代以上に自由を制限された生活に耐えられず、いつしかアヘンに溺れてしまう。 このような状況下で、留学中に日本人女性(浩、白城あやか)と結婚した弟・溥傑(紫苑ゆう)に、溥儀は激しい怒りをぶつける。溥傑は幼い頃から、臣下としての分を弁え、兄である溥儀によく仕えていた。その弟が、憎き日本の女性と結婚したことに裏切りを感じ、溥傑の妻・浩に冷たくあたる溥儀。しかし、あることから浩の「愛新覚羅浩」としての覚悟を知り、和解に至る。心から愛する妻と、尊敬する兄との和解を、溥傑は浩と手を取り合って喜ぶのであった。 第二次世界大戦の終戦間近、通化への亡命を前にして婉容は病に倒れる。それでも気丈に振る舞い、最後まで溥儀への諫言をやめない婉容だったが、ついに力尽き夫の腕の中で事切れる。最後まで愛する妻に自由を与えられなかったことを悔やみ、慟哭する溥儀。 1945年、溥儀は溥傑とともに、日本軍将校・倉石(麻路さき)の手引きで日本への亡命を図る。しかし、飛行場に現れたのはソビエト連邦軍機であった。紫禁城時代から長く愛新覚羅家に仕えた女官・麗華(邦なつき)が、愛新覚羅家の凋落を嘆き、その帰責を溥儀に求めてソ連に密告したためであった。かつて溥儀が無情に解雇した宦官たちも現れ、溥儀に裁かれることを求める。倉石を通じて日本軍を頼ることも、また蒙古軍を率いて溥儀の救援にかけつけた文繍を頼ることも、溥儀には可能であった。しかし、血を流してまで皇位に執着することを是とせず、自らソ連軍の捕虜となることを望む。その姿に、もはや皇帝ではない、一個の人間としての潔さを見た溥傑は、臣下としての礼を捨て、初めて溥儀に「兄上」と呼びかける。大いなる落日に照らされながら、溥儀はあの沈みゆく落日のごとく、命の尽きる最後の最後まで、輝いて生きることを誓うのだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紫禁城の落日」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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