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紫雲寺潟(しうんじがた)、あるいは塩津潟(しおづがた)は、かつて越後国蒲原郡に存在した潟。現在の新潟県新発田市および胎内市に広がり、長さ約6km、横約4kmにおよんだ〔正保越後国絵図 「長サ 壱里半余、横壱里余」〕。18世紀前半に干拓により姿を消した。 == 歴史 == 9世紀末~10世紀初頭(平安時代)、地震による地盤沈下で潟が形成されたと推定されている。 江戸時代中期、潟には加治川、菅谷川など多数の川が流入し、周辺地域の水難防止のため遊水地にされていたが、潟縁地域の開発が進むにつれ水害が問題化する。このため新発田藩による排水工事や、1721年(享保6年)には周辺村民らによる長者堀(現在の落堀川)の開削が行われたが機能しなかった。その後、信州出身の竹前権兵衛、小八郎兄弟が自費での紫雲寺潟干拓を幕府に許可され、1728年(享保13年)に工事着手。長者堀の再開削や流入河川の締め切りを行い、1732年(享保17年)頃には干拓が完了。潟の跡には約2,000町歩(約2,000ヘクタール)の新田と42の新しい村が誕生した。これは当時の日本で多く見られた町人請負新田のなかでも最大規模のものであった。 1999年、日本海東北自動車道の建設に伴う発掘調査で、旧紫雲寺潟の中心部に青田遺跡が見つかった。遺跡からは縄文時代晩期終末(約2500年前)の集落跡と平安時代の遺構や遺物が発見され、上述のように潟が9世紀末~10世紀初頭(平安時代)の地震による地盤沈下で形成されたことが明らかになった。
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