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細倉鉱山(ほそくらこうざん)は宮城県栗原市にあった、鉛、亜鉛、硫化鉄鉱を主に産出した鉱山である。最盛期は岐阜県の神岡鉱山に次ぐ規模の、日本を代表する鉛、亜鉛の鉱山であった。 == 鉱山の位置と概要 == 細倉鉱山は宮城県西北部の奥羽山脈の山麓にあった、鉛、亜鉛、硫化鉄鉱を主に産出した鉱山である。鉱山は北上川水系迫川(はさまがわ)支流に当たる二迫川(にのはさまがわ)の更に支流となる鉛川沿いの谷を中心として、東西約5キロ、南北約3キロの範囲に広がっていた〔佐藤(1964)p.1、葉賀(1993)p.54〕。 鉱山の名となった「細倉」は、江戸時代に鉱山の中心を担っていた細倉山神社付近の地名が細倉であったことから名づけられた。地名の由来としては、クラとはアイヌ語で切り立った山のことを指す言葉であり、山深い細倉山神社付近の地形を「細いクラ」と呼び慣わしていたのがいつしか「細倉」となったとの説があり、別の説では山神社の裏山が鞍の形に似ていて、やはり山深い地形から「細い鞍」と呼んでいたものが「細倉」となったという。細倉山神社は近代の鉱山中心地であった、現在の細倉マインパークがある付近から約2キロ奥に入った場所にあり、地名の由来からも細倉鉱山が奥羽山脈山麓の山地にあることが伺われる〔佐藤(1964)pp.2-4、鶯沢町町史編纂委員会(1978)pp.331-332〕。 細倉鉱山は9世紀に発見されたとの伝承があるが根拠がはっきりせず、文献からは16世紀の後半に発見、採掘が開始されたと考えられている。当初は銀山であったが、17世紀後半から鉛の産出が始まり、停滞した時期もあったが、やがて仙台藩一の鉛の鉱山となった。江戸時代末には細倉鉱山で産出された鉛から、細倉当百という鉱山で使用するための地方貨幣も発行された。 明治以降は細倉鉱山が有望な鉱山であると考えた人々によって鉱山経営が行われるが、水害や火災、そして鉛や銀の市況の低迷などの影響で思うように発展しなかった。1934年(昭和9年)に三菱鉱業が細倉鉱山の経営権を獲得して本格的開発に乗り出し、戦中戦後の混乱はあったが、日本を代表する鉛、亜鉛の鉱山へと成長した。 1970年代以降、円高による競争力の低下やオイルショックなどによる不況の影響で細倉鉱山の経営は困難となり、1987年(昭和62年)2月に閉山となった。その後は鉛鉱石の精錬事業を継続していたが、1994年(平成6年)から自動車の廃バッテリーから鉛を回収する事業を開始し、1996年(平成8年)には鉛鉱石の精錬事業から撤退し、精錬関連では自動車の廃バッテリーからの鉛回収事業に専念することになった。 細倉鉱山は明治以降の日本の近代化に、鉛や亜鉛などの非鉄金属の生産を通して貢献し、また鉱山関連の遺構が比較的良好に遺されていることが評価され、2007年(平成19年)に経済産業省が認定する近代化産業遺産群33に、「東北鉱山」の一つとして認定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「細倉鉱山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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