翻訳と辞書
Words near each other
・ 細川利愛
・ 細川利昌
・ 細川利永
・ 細川利用
・ 細川利祐
・ 細川利致
・ 細川利重
・ 細川功
・ 細川加賀
・ 細川勝久
細川勝之
・ 細川勝元
・ 細川勝氏
・ 細川勝益
・ 細川十州
・ 細川十洲
・ 細川千仞
・ 細川千仭
・ 細川千栄子
・ 細川半蔵


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

細川勝之 : ミニ英和和英辞書
細川勝之[ほそかわ かつゆき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

細川勝之 : ウィキペディア日本語版
細川勝之[ほそかわ かつゆき]

細川 勝之(ほそかわ かつゆき、生没年不詳)は、室町時代武士細川氏一族の野州家出身で、応仁の乱において東軍の大将となった細川勝元猶子。実父は細川教春(勝元の再従兄弟)で生母は不詳。弟に細川政春。子に湯浅宗正(実名)の「勝之」は、養父・勝元と同じく将軍足利義勝から偏諱(「勝」の字)を賜って名乗ったものと思われる。
== 生涯 ==
応仁の乱では養父の指揮する東軍の武将として奮戦した。相国寺の戦いでは、安富元綱らと共に3,000人の兵士を率いて西軍の進撃を防衛。しかし、大内氏土岐氏畠山氏一色氏らの軍勢によって大苦戦を強いられ、最終的には撤退する。その際、重傷を負った勝之は、家臣の湯浅宗武の命を懸けた護衛で救われ、逃げ延びた。自身を逃して討ち死にした宗武の忠義に感激した勝之は、宗武の妹を妻とし、その間に生まれた子(宗正)を湯浅氏養子とした。
一時は勝元から京兆家の家督を譲られる地位にあったが、山名氏との血縁を重視する家臣たちの反発を受けた。文明4年(1472年)1月の応仁の乱講和の際は、東軍内の対山名氏穏健派と激しく対立した。翌文明5年(1473年)の勝元の死後、家督は勝之ではなく実子の政元が継承した。後に政元の死後に京兆家当主となった細川高国は甥に当たる。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「細川勝之」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.