|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 戊 : [ぼ] 【名詞】 1. 5th in rank 2. fifth sign of the Chinese calendar ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
細萱 戊子郎(ほそがや ぼしろう、1888年(明治21年)6月24日 - 1964年(昭和39年)2月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 == 経歴 == 農業、細萱伊勢吉の四男として長野県南佐久郡桜井村(現佐久市)に生まれる。野沢中学を経て、1908年11月海軍兵学校(36期)を卒業し、1910年に少尉任官。1914年海軍水雷学校高等科を卒業後、駆逐艦「樺」乗組、第1特務艦隊参謀、佐世保鎮守府副官などを歴任。1920年、海軍大学校(甲種18期)を卒業。以後、第4戦隊参謀、軍令部第2班第4課参謀、「夕張」副長、「日向」副長、呉軍需部第1課長、「鳥海」艦長、軍需局第1課長、佐世保工廠造兵部長、「陸奥」艦長などを歴任し、1935年海軍少将に進級。 以後、第5水雷戦隊司令官、海軍通信学校長、海軍水雷学校長兼務、第4水雷戦隊司令官、第1航空戦隊司令官を務め、1939年に海軍中将・旅順要港部司令官を拝命。その後、第1遣支艦隊司令長官を経て、1941年7月、第5艦隊司令長官となったが、アッツ島沖海戦での指揮の不手際により更迭され、1943年予備役に編入された。同年11月から1946年3月まで、最後の南洋庁長官を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「細萱戊子郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|