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細谷喜一 : ウィキペディア日本語版
細谷喜一[ほそや きいち]
細谷 喜一(ほそや きいち、1904年明治37年)4月〔『人事興信録』第14版 下、ホ19頁。〕 - 1980年昭和55年)11月3日〔『現代物故者事典 1980~1982』285頁。〕)は、日本の警察官僚内閣官房副長官
==経歴==
群馬県出身。細谷信次郎の長男として生まれる〔。第一高等学校を卒業。1931年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1932年3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年、内務省に入省し警視庁警部補となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』294頁。〕。
以後、警視庁警務課教養係長、大塚警察署長、渋谷警察署長、地方警視静岡県警察部刑事課長、岡山県警察部特別高等警察課長、興亜院事務官・政務部第三課勤務、警視庁警視・労働課長、兼警視庁事務官・調停官、地方警視・京都府警察部特別高等警察課長、千葉県官房長四国地方総監府参事官香川県部長・警察部長などを歴任〔〔。
戦後、1945年10月13日に休職となり〔『官報』第5635号、昭和20年10月23日。〕、その後、退官した。以後、公営交通事業協会事務局長、新生活運動協会事務局長を歴任〔「人 細谷喜一」〕。大平正芳官房長官からの要請を受け内閣官房副長官に就任し〔、1960年12月から1964年7月まで(第2次池田内閣第3次池田内閣)在任した〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』468頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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