翻訳と辞書
Words near each other
・ 経蔵 (パーリ)
・ 経蔵 (建築)
・ 経蔵 (醍醐寺)
・ 経蔵坊狐
・ 経蝶形骨洞下垂体手術
・ 経行
・ 経行寺
・ 経覚
・ 経覚私要抄
・ 経覚私要鈔
経誉
・ 経説寺
・ 経読み鳥
・ 経豪
・ 経財相
・ 経費
・ 経費削減
・ 経費節減
・ 経費節減・民力休養
・ 経費節約


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

経誉 : ミニ英和和英辞書
経誉[きょうよ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けい, たていと]
 (n) (weaving) warp

経誉 : ウィキペディア日本語版
経誉[きょうよ]
経誉(きょうよ、康正元年(1455年) - 永正9年5月6日1512年6月29日))は、室町時代後期から戦国時代前期にかけての浄土真宗佛光寺真宗佛光寺派)第14世。号は乗蓮社、諡号は勧喜心院。佛光寺12世性善の次男で母は西園寺実種の娘、経豪(蓮教)の弟。二条持通猶子。子に経光
浄土宗の寺・知恩院の徳山和尚の弟子となり、修行の末に和尚上人位を得ていたが、文明14年(1482年)に実家の佛光寺法主だった兄の経豪が本願寺法主蓮如を慕い出奔、42坊に上る多くの末寺も佛光寺から離れるという事態になったため、前法主で叔父の光教や残った末寺6坊の運動で急遽佛光寺へ戻り法主を継いだ。しかし、継承準備が無いまま宗旨替えをしたため、実権は光教と6坊に握られ、寺務も光教が明応3年(1494年)に病に倒れるまで担当したといわれる〔渋谷、P94、平松、P137 - P141、柏原、P96。〕。
法主として経豪出奔後の佛光寺立て直しに尽力、6坊を重用し、摂津国平野の檀家奥野清順に末寺転派阻止に功があったとし、親鸞ゆかりの宝器や漢方薬を授けたといわれる。文明15年(1483年)7月に応仁の乱で焼失した佛光寺の再建を募り『佛光寺造立奉加帳』を記し(光教が作成したとも)、12月に法眼に叙任。長享元年(1487年)4月に大僧都に任じられ、同年に室町幕府9代将軍足利義尚祈願の公書を納めた。永正9年(1512年)に死去、享年58。子の経光が後を継いだ〔渋谷、P124、平松、P139 - P140、柏原、P116。〕。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「経誉」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.