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結城 氏広(ゆうき うじひろ、宝徳3年(1451年) - 文明13年3月29日(1481年4月27日))は、室町時代後期の武将。結城氏の第14代当主。第11代当主・結城氏朝の孫で結城長朝の子。第13代当主結城成朝の甥。妻は小田持家の娘。第15代当主結城政朝の父。別名は輝朝(てるとも)。 成朝が重臣・多賀谷朝経(氏家の弟)に殺害されると、朝経は結城基景(山川景貞の子)の擁立を図るが、基景が19歳で急死したために、かつて成朝との家督争いに敗れた長朝(成朝の兄)の子である氏広が擁立された。 享徳の乱で古河公方足利成氏と関東管領上杉氏とが対立すると、結城氏は成氏方に味方し、当主である氏広も成氏方の将として転戦し、古河城が一時陥されたときは、千葉孝胤、那須資実らとともに成氏に協力し、古河城回復を援護している。しかし、多賀谷氏や山川氏、水谷氏が独立色を強めた活動をしたため、家中の統一が図れないまま31歳の若さで没した。 うしひろ 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「結城氏広」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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