|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 明察 : [めいさつ] 1. (n,vs) discernment 2. penetration 3. insight 4. intellectual acumen ・ 察 : [さつ] (n) (col) police
『絹と明察』(きぬとめいさつ)は、三島由紀夫の長編小説。古い日本的家族意識の家父長経営で業績を伸ばす紡績会社社長が、「子」である従業員たちから労働争議を起こされ滅びてゆく物語。「日本」および「日本人」「父親」というテーマを背景に、近代主義的な輸入思想の〈明察〉の男と、日本主義の〈絹〉の男との二重構造の対比や交錯が描かれている〔三島由紀夫「著者と一時間(『絹と明察』)」(朝日新聞 1964年11月23日に掲載)〕〔杉本和弘「『絹と明察』の〈日本〉」(中部大学国際関係学部紀要、1994年3月)〕〔『三島由紀夫事典』(明治書院、1976年)〕。近江絹糸の労働争議を題材に創作された作品で、昭和39年度・第6回毎日芸術賞の文学部門賞を受賞した〔「解題」(『決定版 三島由紀夫全集第10巻・長編10』)(新潮社、2001年)〕。 1964年(昭和39年)、文芸雑誌『群像』1月号から10月号に連載され、同年10月15日に講談社より単行本刊行された。文庫版は新潮文庫で刊行されている。 == 作品背景・主題 == 三島由紀夫は『絹と明察』の執筆動機について以下のように述べつつ、「ぼくにとつて、最近五、六年の総決算をなす作品」と位置づけている〔。 そしてそれを追求するうちに、「企業の中の父親、家父長的な経営者」にぶつかったとし、「批判者」が「父親に対する息子」だけでは足りないと考え、〈岡野〉という「人間の善意の底の悪」をよく知り、ドイツ哲学を学び「破壊の哲学をつくつたつもりの男」、「日本の土壌には根を下してゐない知識人の輸入思想の代表」を設定したとし、以下のように説明している〔。 『絹と明察』の題材は、1954年(昭和29年)6月に起きた「近江絹糸の労働争議」から取ったもので、三島は1963年(昭和38年)8月30日から9月6日まで、滋賀県彦根市、近江八景を取材してから、10月26日に起稿し、翌年1964年(昭和39年)8月13日に脱稿している〔〔『三島由紀夫事典』(勉誠出版、2000年)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「絹と明察」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|