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綱淵謙錠 : ミニ英和和英辞書
綱淵謙錠[つなぶち けんじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふち]
 【名詞】 1. deep pool 2. abyss 3. the depths 
: [じょう]
 【名詞】 1. (1) lock 2. padlock 3. (2) (suf) tablet 4. lozenge 5. pill 

綱淵謙錠 : ウィキペディア日本語版
綱淵謙錠[つなぶち けんじょう]

綱淵 謙錠(つなぶち けんじょう、1924年(大正13年)9月21日 - 1996年(平成8年)4月14日)は樺太出身の小説家随筆家
旧制新潟高校在学中に北海道旭川第7師団に召集され、1945年(昭和20年)9月に復員。
翌1946年(昭和21年)東京帝国大学に入学するも学費が続かず1年経たずに辞め、東京を脱して新潟に赴き、数年間職を転々とした後1951年(昭和26年)東大復学、28年同大文学部英文学科卒業。中央公論社に入社し、出版部、『中央公論』、『婦人公論』を経て「谷崎潤一郎全集」、「エリオット全集」などの文芸書を手掛け、1971年(昭和46年)退社。翌年請われて日本ペンクラブ事務局長に就き激務の傍ら「」を執筆、同年井上ひさしとともに第67回直木賞を受賞した。1996年(平成8年)慢性腎不全で死去、享年72。「戊辰落日」「越後太平記」「幕末に生きる」など著書多数。本名は綱渕。
==生い立ち==
山形県飽海郡遊佐町にて漁業を営んでいた父兼吉と、函館生まれの母の1男2女の長男として移住後の樺太登富津に生まれる。綱渕家は、かつて川の両岸に綱を渡し舟を往復させた渡し守であったが、金品を強奪するのに嫌気が差し神官になったとされる家柄。小学校入学後同家は急に没落、貧しさの中であったが、漢字好きで、自作を朗読してくれた中学の国語教師の薫陶もあって物書きの素地ができたという。
1943年(昭和18年)旧制新潟高校に入学、ロシア文学に夢中になり、付いた渾名が「トリンコフ・ラウヘンビッチ・メチスキー(酒野煙野助平)」。生涯に渡る英国詩人のT・S・エリオット狂になったのもこの頃だった。翌春徴兵検査で甲種合格、夏休みに上京する一方富山県の不二越製鉄所で勤労動員。1945年(昭和20年)2月学徒出陣により旭川歩兵部隊に入隊、8月玉音放送を旭川師団の営庭で聴く。翌月復員命令が出て秋田に戻るが、毛布2枚、煙草の「誉 ほまれ」200本と若干の旅費という着の身着のままだった。その年の暮れに新潟の母校寮近くで下宿生活を始め、1946年(昭和21年)春東大に入るも篤志家の都合で退学を余儀なくされ、再び新潟に帰る。この年10月父はソ連軍占領下の樺太で他界、遺された母と妹は翌年6月姉夫婦と共に父の遺骨の一部を抱いて函館に引き揚げた。印刷所職工見習、図書館勤務、出版社と移るが出版社が倒産、新制高校教員に就く。この間樫枝夫人と結婚。1950年(昭和25年)中央公論社を受験するが失敗している。もっとも受験には大学卒業という要件があり、中退の綱淵は特別に入社試験受験を許されていた。翌年東大に再復学、新潮文庫外校アルバイトをしながら1953年(昭和28年)同社2度目の受験で入社を果たす。入社試験に失敗した経緯を聞いていた恩師・會津八一は、紹介状を書いている。夫人それに小学校入学前の長男との8畳1間の間借生活が池袋西口でスタート。同年3月東大卒業、通学したのは実質3年間であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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