|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 網 : [あみ] 【名詞】 1. net 2. network ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 下 : [した, もと] (adv) under (esp. influence or guidance) ・ 下車 : [げしゃ] 1. (n,vs) alighting (from train, bus, etc.) 2. getting off ・ 車 : [くるま] 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel ・ 車庫 : [しゃこ] 【名詞】 1. garage 2. car shed
網走バス株式会社(あばしりバス)は、北海道網走市に本社を置き、バス事業等を行う企業である。 1962年(昭和37年)より名古屋鉄道が資本参加し名鉄グループの一員であったが、名鉄保有の株式は2012年(平成24年)4月2日付で網走市に本社を置くエンターテインメント事業のタカハシへ譲渡され、約半世紀ぶりに地元資本による運営となった〔“道東観光開発を買収 カラオケのタカハシ 名鉄から網走バスも”. 北海道新聞. 2012年3月28日朝刊 p. 11経済面。〕〔“タカハシ 名鉄参加3社子会社化”. 北海道新聞. 2012年3月28日朝刊 オホーツク版 p. 25オホーツク面。〕。 == 設立まで == 会社の流れとしては、1936年(昭和11年)に網走在住の有志が設立した三共自動車株式会社が最初。網走市街線を運行したが、1943年(昭和18年)に北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱(いわゆる戦時統合)により北見乗合自動車株式会社(のちの北見バス、北海道北見バスの前身)へ統合され、その後運休となった。 1949年(昭和24年)6月には網走商業組合よりバス企業設立について提案があり、北見バスより休止路線の復活と、将来の独立を前提とした網走市を中心とする免許委譲および新規路線出願の協力を取り付け、同年11月に北見バス網走営業所として営業を開始。網走市内線(甲・乙)、常呂線の3路線が運行された。 1951年(昭和26年)に入り、北見バス監査役(網走バス設立発起人代表)および網走営業所従業員によって独立準備が急がれ、その前提として同年4月に北見バス網走支社を設立し、美幌、小清水、斜里方面へ路線を拡大した。同年10月に北見バスと網走バス設立発起人代表の間で業務の譲渡・譲受契約が成立。1952年(昭和27年)1月25日に網走バス株式会社として設立登記が完了。独立会社として営業を開始した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「網走バス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|