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網走観光交通株式会社(あばしりかんこうこうつう)とは、北海道網走郡大空町に本社を置きバス事業等を行う企業である。2010年(平成22年)3月31日までの社名は網走交通バスであった。 == 歴史 == 戦前に網走町(現:網走市)の新栗履地区(現在の大空町東藻琴)にて殖民軌道運行を受託していた藻琴線運行組合が前身。旅客輸送も担っていたが客貨分離を行うこととなり、北見バス(北海道北見バスの前身)より車両と運行権を買収したのが始まりである。 1950年(昭和25年)には経営上の理由からバス事業を分離することとなり、村と運行組合の出資を中心として東藻琴交通株式会社を設立。トラック事業などとともに運営されたが、1955年(昭和30年)頃から網走バスとの合併話が度々取り沙汰されるようになり、第三セクター的な機構では発展に限界があることから、1959年(昭和34年)に網走交通株式会社に改組し完全民営化への布石とした。 1962年(昭和37年)には東急グループ入りし東藻琴村民に密着した運営を行っていた。一時は三菱鉱業が美唄、夕張の旧炭鉱地区で運行していた美鉄バス(旧美唄鉄道)を傘下に収めるなどの動きもあったが、2002年(平成14年)には事業効率化などを目的として、網走交通よりバス事業を分離して網走交通バス株式会社での営業を開始。2009年(平成21年)には株譲渡により東急グループから離脱しジェイ・ウィル・パートナーズ関連会社となったものの、2010年(平成22年)に代表取締役が全株を買い戻し網走観光交通株式会社に商号変更した。企業グループには属さない独立系会社となっているが、本社は網走交通東藻琴営業所と同居するなど、元の親会社である網走交通との関係は続いている。 路線は過疎化やモータリゼーション化が進行でワンマン運転開始などの合理化も講じられたものの、1975年(昭和50年)までに女満別線と明生線が廃止された。川湯線は1987年(昭和62年)に休止。北見線は2001年(平成13年)に美幌発着に変更されて廃止され、その美幌線も2004年(平成16年)に沿線人口僅少により廃止された。軌道客貨分離の路線となる2路線は、山園線は長らくスクールバス的要素の強いダイヤで存続したものの、2009年(平成21年)に廃止となりスクールバス化された。現在は網走線のみが運行される。 なお、軌道事業に関しては東藻琴村営軌道を参照されたい。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「網走観光交通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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