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綾曻 竹藏(あやのぼり たけぞう、1908年5月20日 - 1969年7月14日)は、宮城県仙台市青葉区出身の元大相撲力士。本名は大場 竹藏(おおば たけぞう)。 == 来歴 == 1908年5月20日に宮城県仙台市青葉区で生まれる。当初は、日中を仙台の税務署で勤務しながら過ごして夜は学校に通って勉強する生活(現在で言えば定時制)を送っていたが、ある日近所の好角家から体格を見出されたことで千賀ノ浦部屋へ入門、1925年1月場所で初土俵を踏んだ。 1928年に部屋ごと出羽海部屋へ移籍してからは、当時角界一の強豪とも言われていた出羽海部屋の関取から激しい稽古を受けて成長し、1931年5月場所において双葉山定次と共に新十両昇進を果たした。1932年1月6日に春秋園事件が勃発すると日本相撲協会を一時脱退したが、1933年1月場所で十両格別席として復帰した。この場所は10勝1敗の十両最高成績を収めたが、別席のために番付の上位を決定することが出来ず、同じく復帰した番神山政三郎との優勝決定戦を制して優勝した。 1934年1月場所で新入幕を果たすと、左右どちらでも通用する差し手から足癖、とりわけ内掛けを得意とする取り口で人気を博し、柔軟な体格でありながら腰が重いために土俵際でのうっちゃりも華麗だった。このような技能相撲で男女ノ川登三・双葉山定次・羽黒山政司・前田山英五郎といった戦前を代表する横綱・大関に強く、特に男女ノ川登三には3連勝を含む通算3勝3敗、前田山英五郎には通算4勝2敗と勝ち越すなど大関昇進候補に挙げられたが、正攻法の力士にめっぽう弱いことや負傷や病気などで三役には昇進したものの、三役定着・大関昇進は出来なかった。 1945年6月場所を7戦全休(この場所は戦局悪化のため、幕内でも7番相撲だった)したのを最後に現役を引退し、20年の土俵生活に別れを告げた。引退後は年寄・千賀ノ浦(のち峰崎)を襲名したが、1958年1月場所を最後に廃業した。廃業後は、引退直後の1949年から東京・向島で始めたフグ・ちゃんこ料理店「やぐら」を経営し、調理師免許を取得して自ら調理に当たった。廃業後は料理店経営に専念し、1963年からは東京・江戸川でもフグ料理店を経営した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「綾昇竹蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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