|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 総 : [そう] 1. (n,pref) whole 2. all 3. general 4. gross ・ 総社 : [そうじゃ] (n) shrine enshrining several gods ・ 社 : [やしろ] (n) shrine (usually Shinto) ・ 二 : [に] 1. (num) two ・ 二子 : [ふたご] 【名詞】 1. twins 2. a twin ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November) ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 古 : [ふる] 【名詞】 1. used 2. secondhand ・ 古墳 : [こふん] 【名詞】 1. ancient (mound) tomb
総社二子山古墳(そうじゃふたごやまこふん)は、群馬県前橋市総社町にある前方後円墳である。国の史跡に指定されている(指定名称は「二子山古墳」)。総社古墳群を構成する1基である。 == 概要 == * 全長89.8m〔大塚初重・小林三郎・熊野正也編『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年、504頁。〕 * 後円部径44.2m、高さ7.5m * 前方部幅60m、高さ8.0m 墳丘の中心軸は東西方向で、前方部を西に向ける。周囲の地形から周堀の存在が予想されるが、詳細は不明である。 前方部と後円部の両方に両袖型横穴式石室があるが、両者は工法を異にしている。 後円部石室は全長9.4m、玄室長6.88m、幅3.4mと群馬県内有数の規模をもち、榛名山二ッ岳噴出の角閃石安山岩の切石を互目積みにしている。現状では天井石が崩落している。羨道は現状長さ1.9メートルだが、本来の長さは2.5メートルと推定される〔文化庁文化財保護部史跡研究会監修 『図説日本の史跡 2 原始2』同朋舎出版、1991年6月、77-78頁〕。 前方部石室は全長8.76m、玄室長4.27m、幅2.22mとやや規模も小さく自然石をもって構築し、後円部石室とは趣を異にしている〔。 石室はともに江戸時代に開口し、遺物が藩に届出られている。このうち勾玉、金耳環、銅製六鈴釧、鉄鏃、脚付長頸壺などが東京国立博物館に所蔵されており、長頸壺は寛政年間(1789 - 1801年)、その他の遺物は文政2年(1819年)の出土と伝える。古記録によれば、他に銀装頭椎大刀(かぶつちのたち)などが出土しているが、所在不明である〔。 築造時期は使用石材、石材加工などの点から前方部石室が6世紀末、後円部石室がそれにやや遅れるとされてきたが、この築造順序を逆にみる意見も出ている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「総社二子山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|