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野国総管(のぐに そうかん、旧字体表記:野國總管)は、第1義に、琉球王国時代の沖縄本島の北谷間切野国村(現・沖縄県中頭郡嘉手納町野国)の総管(進貢船乗組員の一役職名)のこと。 第2義には、日本が慶長年間(1596-1615年)に当たる時期に当役職に就いていた、個人名不明、あるいは与那覇 松(ヨナハ マチュー)と推定される〔 〕一人物(生年不詳 - 1615年?)を指し、サツマイモ栽培を巡る話の関連では主にこちらの意味で用いられる。 == サツマイモ栽培を始めた野国総管 == サツマイモ栽培を始めた野国総管(個人)の家系は代々野国村の百姓であったと考えられる〔 〕。詳しい人となりは不明であるが、彼も野国村の生まれとされる。この野国総管の姓名については長らく不明とされてきたが、総姓世系図等で分析された結果、いくらか明らかになっている〔〔。係る系図の一世の項には「大宗藩初野國總管号松岩室号永屋」とあり、2005年現在、13代目まで「与那覇(ヨナハ)」として継承されている総管の位牌に「總管野國松岩名乗裕初言名總世健」という記述があることからの推定で、本件の野国総管の姓名は、童名でもある沖縄名で「与那覇 松(ヨナハ マチュー)」、大和名で「与那覇 裕初(よなは ゆうしょ)」、中国名(唐名)で「總 世健」と呼ばれていたのではないかという説である〔〔。なお、野国総管の妻の名は、戒名が「永屋」とあるところからの推定で沖縄名は「永」であったと考えられる〔。 農民が旱魃などで苦しむのを見てきた彼は、1605年(日本は慶長10年、中国は万暦33年)、明代中国の福州〔(現在の福建地方。福州市あたりか)に渡った際、現地の人物から蕃薯(ばんしょ。今で言うサツマイモ)を教えてもらい、鉢植えの苗を持って同年のうちに帰国して野国村で試作した〔〔。悪天候に左右されない蕃薯は土地によく根付いたことから、村の農民に広められ、これによって餓死など凶作による村人の災難は防がれた。また、琉球王統(第二尚氏王統)の人物である儀間村地頭・儀間真常は、野国総管が蕃薯の苗を持ち帰ったことを聞きつけ、野国総管から栽培法を学び、以後、琉球各地に広めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野國總管」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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