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緑 健児(みどり けんじ、1962年4月18日 - )は、日本の空手家(七段)。現在はNPO法人全世界空手道連盟新極真会の代表理事。全日本フルコンタクト空手道連盟理事長。得意技は上段廻し蹴り。 == 選手時代 == 鹿児島県大島郡瀬戸内町(奄美大島)に生まれる。梶原一騎原作の極真空手を題材とした『空手バカ一代』に感銘を受け1978年に上京、高校進学と同時に当時の極真会館、東京城南川崎支部(廣重毅支部長)に入門する。 1985年、1987年の全日本ウェイト制空手道選手権大会にて軽量級の部で優勝。また、身長165cm、体重約70kgと体格的には恵まれていないにもかかわらず無差別の全日本空手道選手権大会において1985年に5位入賞(敢闘賞を受賞)という成績を挙げる。 1987年に開催された第4回全世界空手道選手権大会に日本代表選手として出場し、ベスト16の成績を残したが、この試合で引退を決意する。 引退するも翌年のスイス国際大会に出場して、選手として復帰する。国内では1990年に開催された第7回全日本ウエイト制空手道選手権大会で復帰し、軽量級で優勝する。同年に開催された第22回全日本空手道選手権大会では準優勝し、第5回全世界空手道選手権大会の日本代表選手となる。 世界大会前に極真会館総裁大山倍達が緑の故郷である奄美大島を訪れて激励した。緑の著作のタイトルでもある「死力達成」はこの時、大山から送られた言葉である。 1991年の第5回全世界空手道選手権大会では軽量級ながら体重無差別のトーナメントで黒澤浩樹、増田章ら強豪選手を破って優勝し、小さな巨人と賞賛された。 この第5回全世界空手道選手権大会をもって現役を引退する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「緑健児」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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