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繆 雲台(ぼく うんだい)は中華民国、中華人民共和国の政治家・官僚・実業家。雲南派の経済官僚で、政治的には無党派人士として活動した人物である。名は嘉銘で、公式に使用されるが、一般に号の雲台の方で呼ばれる。 == 事跡 == === 米国留学から初期の活動 === 清末に昆明方言学堂英語班で学び、中華民国成立後に留学予備班に加入した。1913年(民国2年)6月、官費によりアメリカに留学する。カンザス州サウスウェスト大学、イリノイ大学、ミネソタ大学でいずれも冶金技術を学んだ。1918年(民国7年)卒業し、ニューヨークの鋼鉄会社に勤務した。 1919年(民国8年)10月に帰国して昆明に戻る。雲南省の統治者である唐継尭から箇旧錫務公司総理に任命された。繆雲台は新技術導入などに辣腕を振るい、不振に陥っていた錫務公司を立て直した。1923年(民国12年)11月、北京政府の農商総長李根源の招聘により、農商部検事、商標登録処処長等をつとめた。1924年(民国13年)、雲南省の富滇銀行会弁に任命される。 1928年(民国17年)5月、竜雲が雲南の統治権を掌握すると、繆雲台は省農鉱庁長に就任した。1930年(民国19年)秋、雲南省整頓金融委員会委員長となる。翌年夏、雲南勧業銀行総経理を兼任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「繆雲台」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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