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織田 信民(おだ のぶたみ、天保11年2月2日(1840年3月5日) - 慶応元年6月10日(1865年8月1日))は、丹波柏原藩第9代藩主。高長系織田家12代。 正室は水野忠央の娘。子女はいない。養子に織田信親、養女に俊子(公家伏原宣諭二女、柏原藩士生駒高令妻)がある。幼名は叙丸。官位は従五位上、山城守。 == 生涯 == 天保11年(1840年)2月2日、筑前秋月藩主黒田長元の四男として誕生する。母は黒田長韶の娘・慶姫。安政元年(1854年)4月14日、柏原藩主織田信敬の末期養子として家督を相続する。安政2年(1855年)12月16日、従五位下山城守に叙任する。文久3年(1863年)3月30日、幕府から京都警備を命じられる。同年9月5日、参内する。元治元年(1864年)2月22日、幕府から帰藩の許可を得る。同年2月28日、参内する。同年5月5日、従五位上に昇進する。同年11月14日、町人を住まわせていたとして、江戸の下屋敷を没収される。 慶応元年(1865年)6月10日、柏原において死去、享年26。柏原・徳源寺に葬られた。2代続けての当主の早世であった。嗣子がなかったため、その後は山崎治正の三男治安が養子に迎えられて継いだ(織田信親)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「織田信民」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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