|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 織 : [おり] 【名詞】 1. weave 2. weaving 3. woven item ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 信 : [まこと, しん] 1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion ・ 真 : [まこと, しん, ま] 1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness
織田 信真(おだ のぶざね、天保13年(1842年) - 没年不詳)は江戸時代末期の武士(旗本)。高家旗本の織田長裕の子。慶応3年の武鑑での石高2000石。 == 来歴 == *天保13年(1842年)武蔵国江戸で生まれる。幼名は豊満寿丸(とよますまる)、のち織之助と称する。 *安政2年(1855年)3月26日に父長裕の隠居により、家督を相続する。家督相続後も高家職に就任することなく、俗に言う表高家衆として過ごす。なお、表高家内の席次は第一位。 *文久3年(1863年)1月7日将軍徳川家茂に御目見をする。 *慶応4年(1868年)7月9日、明治新政府より本領安堵される。 *明治元年(1868年)10月14日、太政官より「旧旗下織田織之助本領安堵ノ儀」を、大津県へ下達される。 *明治5年(1872年)10月には江戸の薬種問屋杉浦六三郎(後の杉浦六右衛門〔杉浦六右衛門はコニカの創業者である。〕)の肖像写真を撮影している〔『夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史1(関東編研究報告)』東京都写真美術館編、2007年3月発行による。〕。 *明治9年(1876年)9月、新橋門前町から上野池之端に移り、横山松三郎の通天楼を改築し、写真館を開く。秩禄処分後は写真師として生計を立てていたようである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「織田信真」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|