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織田 信裕(おだ のぶひろ、天保2年(1831年)9 月-明治7年(1874年)4月13日)は江戸時代の旗本。通称は金之助、衛守、三十郎。官位は従五位下伊賀守、上野介。 == 生涯 == 旗本織田信与の子。弘化3年(1846年)7月29日、養父信周の隠居により家督を相続する。寄合に所属する。安政5年(1858年)11月29日寄合肝煎に就任する。講武所頭取などを兼務する。文久2年(1862年)10月10日小姓組番頭に就任する。同年12月16日従五位下伊賀守に叙任される。元治元年(1864年)4月10日書院番頭に就任する。同年7月8日、天狗党の乱に際し堀直虎らとともに鎮圧のために出陣を命じられる。慶応2年(1866年)12月21日免職、寄合に所属する。 明治4年(1871年)6月14日、東京府第一区の仮区長に就任する。同年9月14日、第二区の区長との兼任を命じられる。同年11月22日、第一大区の戸長に就任する。同年11月24日、戸長筆頭を命じられる。同年12月、名前を「三十郎」から「信裕」に改める。明治5年4月8日、第一大区小ノ一区の二等戸長に就任する。明治6年7月15日、第一大区小ノ六区の戸長との兼任を命じられる。明治7年4月13日、病死する。公職を2年以上勤務したことで、府は遺族に25円を支給する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「織田信裕」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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