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織田幹雄 : ミニ英和和英辞書
織田幹雄[おだ みきお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おり]
 【名詞】 1. weave 2. weaving 3. woven item
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [みき]
 【名詞】 1. (tree) trunk 2. (arrow) shaft 3. (tool) handle 4. backbone 5. base 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

織田幹雄 : ウィキペディア日本語版
織田幹雄[おだ みきお]

織田 幹雄(おだ みきお、1905年明治38年)3月30日 - 1998年平成10年)12月2日)は、日本の元陸上選手、指導者。広島県安芸郡海田町出身。1928年アムステルダムオリンピック三段跳金メダリスト〔『先人を訪ねて』織田幹雄(広島県海田町)読売新聞、2012年3月26日、30面〕。
== 人物 ==

日本人初のオリンピック金メダリスト」であり、アジア人としても個人初のオリンピック金メダリストでもある。織田の金メダルにより、日本陸上は一躍世界の第一線に躍り出たと言われる〔最終回 - SportsClick 〕。当時英語で「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」(現在はトリプルジャンプ)と呼ばれた競技名を「三段跳」と訳した〔〔。三段跳では、織田(1928年五輪)・南部忠平1932年五輪)・田島直人1936年五輪)と3大会連続で金メダルを獲得したことから当時日本のお家芸とも言われた。なお、南部と織田は終生の友人であり、田島は織田の影響で三段跳を始めた関係でもある〔沖田芳夫・ 織田幹雄・ 南部忠平・ 西田修平 - 早稲田大学 〕〔「世界への跳躍、限界への挑戦 ——早稲田スポーツの先駆者たちとその時代」展に寄せて 〕。「陸上の神様」〔朝日新聞、1999年1月10日(夕刊)、3面〕、あるいは「日本陸上界の父」〔と呼ばれ、戦後日本全国で陸上競技を指導普及したいわば育ての親のような存在である。国際オリンピック委員会(IOC)オリンピック功労賞受賞。
文化功労者、広島県名誉県民、安芸郡海田町名誉町民、東京都名誉都民渋谷区名誉区民。最終学歴は早稲田大学商学部卒業。朝日新聞社に入社し最終的には朝日新聞運動部部長、のち早稲田大学教授を務めた。
実兄は元中国電力筆頭理事で小水力発電メーカーを立ち上げた実業家の織田史郎。妻は貴族院議員中村純九郎の三女。実業家で第7代住友財閥総理事の古田俊之助は義兄〔。妻の伯母は天文学者寺尾寿の先妻〔。長男の正雄と次男の和雄は共に父・幹雄関連の著書で名を連ね関連イベントに登場する。正雄は日独協会理事を務めドイツ関連の書籍をいくつか出している。一方で二人は、天皇明仁の学友(正雄は学習院中等科で同級生、和雄は2歳後輩のテニス仲間であり常陸宮正仁親王と同級生)として知られ、皇后美智子とを繋いだ関係者でもある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「織田幹雄」の詳細全文を読む




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