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織田 良信(おだ すけのぶ/ながのぶ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。官途は弾正左衛門、弾正忠。備後守。尾張の守護代である織田氏の一族で清洲三奉行の一家「織田弾正忠家」(勝幡織田氏)の祖とされる。 == 生涯 == 父は織田敏定〔『信長公記』〕、または織田敏信〔横山住雄『織田信長の系譜』では、敏信は良信と同世代であり、初め斯波義良のときに、良信と名乗り、斯波義敏の守護復帰後、偏諱を受け、敏信に改名したのではないかとして同一人物としている。〕とされ、確定されていない。初名は不明であるが、尾張守護の斯波義良(後に義寛と改名)の一字「良」の偏諱を受け、良信と名乗ったと推定される。 1482年(文明14年)、清洲城内において宗論がおこなわれた(清洲宗論)。その際に奉行人の一人として名を連ねている。弾正忠家一族の人物で名が判明しているのは良信が最初であるが、「良信」の諱があらわれるのは清洲宗論の場面のみである。 1487年(長享元年)、第9代将軍・足利義尚より、織田大和守家当主の清洲城主織田敏定へ安堵された寺領(妙興寺領)を押領した「材厳」〔『妙興寺申状草案』、天文年間に作成された、妙興寺が当時の織田弾正忠家当主の織田信秀へ宛てた文書の下書であり、そこでは材厳は信秀の祖父と明記されている〕と同一人物と理解されており、織田信定(信貞)の父で織田信長の曽祖父にあたる人物として名が挙がる「西巌」〔『信長公記』〕に該当する人物と推定されている。 津島を支配下に置いた勝幡城は永正年間、子とされる信定の築城であるが、一説には良信が築城ともいう。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「織田良信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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