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織田萬 : ミニ英和和英辞書
織田萬[おだ よろず]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おり]
 【名詞】 1. weave 2. weaving 3. woven item
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まん]
  1. (num) 10,000 2. ten thousand (used in legal documents)

織田萬 : ウィキペディア日本語版
織田萬[おだ よろず]

織田 萬(おだ よろず、慶応4年7月4日1868年8月21日) - 昭和20年(1945年5月26日)〔『織田萬』(著・赤澤史朗)「立命館大学法学部 創立百周年記念誌(64頁-71頁)」発行・立命館大学法学部(2000年9月22日発行)〕は、日本法学者。専門は行政法京都帝国大学名誉教授常設国際司法裁判所判事、関西大学学長。財団法人立命館名誉総長〔。佐賀県須古邑生まれ〔。
== 人物 ==

===幼少時代〔===
織田萬は、佐賀県須古邑の士族・須古精一の次男として生まれた。佐賀藩の本流にはなかったものの、須古邑(現・白石町)を支配する須古鍋島家の親族家老・須古西家に属す名士であった。1歳の時に織田範治の養子として迎えられ、織田家の子供として育てられた。1879年(明治12年)、須古小学校を卒業した織田は、当時須古邑に安住百太郎が開設した「鶴陰学舎」で漢籍や外国法律書などを学ぶ。安住は、江藤新平が唐津の士族約120名を率いた「佐賀の乱」に参加した人物で、反乱鎮圧後、岡山県で獄中生活を送っている。織田は「鶴陰学舎」での経験を通じていち早く「自由民権運動」の気風に触れることができた。後に須古村に「鶴陰学舎之址」の碑を建立した織田は、自らの号も「鶴陰」とするなど、「鶴陰学舎」に相当の愛着をもっていたことを窺わせる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「織田萬」の詳細全文を読む




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