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織田貞幹 : ミニ英和和英辞書
織田貞幹[おだ さだもと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おり]
 【名詞】 1. weave 2. weaving 3. woven item
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [みき]
 【名詞】 1. (tree) trunk 2. (arrow) shaft 3. (tool) handle 4. backbone 5. base 

織田貞幹 : ウィキペディア日本語版
織田貞幹[おだ さだもと]

織田 貞幹(おだ さだもと)は、尾張藩家老。織田信長九男・信貞の子孫。尾州有楽流茶人。
== 生涯 ==
父の信次は織田信長の九男・織田信貞の長男であったものの、病弱のため弟の貞置に家督を譲った。貞幹は叔父の旗本・貞置の養子となり、貞置から茶道有楽流を学んだ。
後に尾張藩主・徳川光友に召し出されて、同藩の藩士になった。始めは嫡子・徳川綱誠の小姓となり、100石を与えられた。次第に加増されて最終的には4,000石になった。元禄9年(1696年)7月3日、国家老となる。宝永4年(1707年)12月23日、従五位下周防守に叙任される。享保3年(1718年)7月25日隠居し、長男・長恒に家督を譲る。以後、巻有と号する。なお、山崎闇斎の弟子・佐藤直方朱子学を学んだ。享保6年(1721年)7月25日死去。69歳。
戒名は、雲岱院岫巖巻有。
菩提寺は、名古屋市中区総見寺
3男4女あり。長男の長恒は家督を相続、次男の長居は分家した。


category:江戸時代の茶人

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「織田貞幹」の詳細全文を読む




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