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美作 太郎(みまさか たろう、1903年9月17日 - 1989年7月3日)は昭和期の編集者、出版会社経営者、出版学研究者。 == 経歴 == 熊本県熊本市生まれ。1927年東京帝国大学法学部卒業後、日本評論社に入社。東大で教わった師の河合栄治郎の著作『トーマス・ヒル・グリーンの思想体系』『ファッシズム批判』『学生に与う』『学生叢書』などの出版を担当する。 1938年、河合栄治郎事件が起こり、河合著の『ファッシズム批判』などが発禁となる。自身は1944年に横浜事件〔横浜事件については、いずれも共著だが、『言論の敗北――横浜事件の真実』(三一新書、1959年)や『横浜事件』(日本エディタースクール出版部、1977年)を書いている。〕により逮捕される〔戦前・戦中における美作の活躍、特に河合関連書の出版や自身の研究の状況は、美作太郎『戦前戦中を歩む』(日本評論社、1985年)に詳しい。〕。両事件により、日本評論社は相当な被害を被る。戦後は同社に復帰し、編集局長、専務取締役になる。1951年退社し、1952年に新評論社(のち新評論)を創立し、社長、のち会長となる。 新評論に美作の弟子で編集者の藤原良雄がいて、彼は1989年独立し、藤原書店を設立。美作の編集、出版の技術や精神は藤原と藤原書店にも受け継がれている。 他方、社外においては、『執筆・編集・校正』『出版と著作権』『編集と著作権』などの出版を通じて、出版学や著作権などの研究、啓蒙に尽くす。また、多くの出版関係の団体の役員を務める。日本出版学会(会長)、日本書籍出版協会(理事)などである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美作太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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