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美吉 左久子(みよし さくこ、本名:春馬美智子、191?年8月31日〔『エスエス』、東宝発行所、1939年7月号、P176〕 - 2010年11月)とは元宝塚歌劇団男役(元花組・月組・雪組・星組組長でもあった)の人物である。兵庫県神戸市出身〔『エスエス』、東宝発行所、1939年7月号、P176〕。宝塚歌劇団時代の公称身長は162cm。宝塚歌劇団時代の愛称はウマちゃん、ハルウマさん〔『別冊1億人の昭和史 タカラヅカ 華麗な舞台とスターを育てた70年』、毎日新聞社、1981年、P100〕。以前の芸名は美吉 佐久子であった。第14回芸術祭賞奨励賞受賞。 ==来歴・人物== 神戸市兵庫尋常小学校(現・神戸市立兵庫大開小学校)卒業後〔『エスエス』、東宝発行所、1939年7月号、P176〕、1932年4月に、宝塚歌劇団22期生として宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入学して、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)に入団する。当時は入学=入団で学校と劇団は一体であった。宝塚入団時の成績は39人中35位〔監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』、阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、P21。ISBN 9784484146010〕。 初舞台公演演目は1933年4月『世界一周』〔『エスエス』、東宝発行所、1939年7月号、P176〕。 1950年 - 1951年、月組組長。 1953年 - 1961年、雪組組長。 1963年 - 1965年、花組組長。 1969年 - 1975年、星組組長。4組時代ではあるが、全組で組長務めたのは美吉だけである。 1979年、『白夜わが愛-朱鷺の墓より-』で宝塚歌劇団を退団する。 退団後は歌劇団演技講師として活動する。1981年、『海鳴りにもののふの詩が』で演技指導を始め、『夜明けの序曲』『風と共に去りぬ』『ベルサイユのばら』『忠臣蔵~花に散り雪に散り~』『ダル・レークの恋』『天使の季節』『花舞う長安』など手がけている。 2010年11月、死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美吉左久子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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