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美川王(びせんおう、生年不詳 - 331年)は、高句麗の第15代の王(在位:300年 - 331年)。姓は高、諱は乙弗、または憂弗(『三国遺事』では瀀弗)。好壤王(『三国遺事』では好穣王)とも記される。第13代の西川王の子の咄固(先代の烽上王の弟)の子であり、『魏書』高句麗伝には乙弗利という名で現れる。300年9月に先王が廃されて王位に迎えられた。 ==即位まで== 293年9月に先代の烽上王が乙弗の父の咄固に叛意ありとして死を賜った際に、乙弗は殺害されることを恐れて王宮を逃れていた。はじめ水室村の陰牟に雇われて働いていたが、王孫であることを知らない陰牟に酷使され、苦しみに耐えられず一年で逃げ去った。その後、東村の再牟とともに塩売りをしていた。鴨緑江の東の思収村のある家で、老婆に塩をせがまれ一斗ばかりを与えるが、さらにせがまれたところ与えなかったために恨まれ、履(くつ)を塩の中に入れられた。それとは知らず塩売りにでたところ、老婆は鴨緑宰(役人)に訴え出て、鴨緑宰は履の値段に相当する塩を老婆に与えさせ、乙弗を笞刑にした。乙弗の顔はやせ衰え、誰が見ても王孫だとは思えなくなっていた。烽上王の暴政のなか、これを廃位しようとしていた国相の倉助利は乙弗を探し出し、説得したうえで鳥陌の南家にかくまった。300年9月、倉助利らは烽上王を廃位して幽閉し、乙弗を迎えて王位につけた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美川王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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