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『美徳のよろめき』(びとくのよろめき)は、三島由紀夫の長編小説。人妻の姦通(婚姻外の恋愛)を描いた作品で、多くの大衆読者を獲得した作品である〔 中元さおり「三島由紀夫『美徳のよろめき』論 ――〈よろめき〉ブームから読む」(広島大学大学院文学研究科論集、2012年12月)〕。結婚前の男友達と再会し関係を持ち、官能に目覚めたヒロインが妊娠・中絶を繰り返した苦しみの末に、別れを決心するまでの一年間を描いた物語。フランスの心理小説の趣を生かした文体で、ヒロインの背徳を優雅に表現している。「よろめき」という言葉は流行語になり、「よろめき夫人」「よろめきドラマ」という言葉が流行った〔〔小笠原賢二「『幸福』という存在論―『美徳とよろめき』を中心に―」(『三島由紀夫論集I 三島由紀夫の時代』)(勉誠出版、2001年)〕。 1957年(昭和32年)、文芸雑誌『群像』4月号から6月号に連載された。単行本は同年6月20日に大日本雄弁会講談社より刊行され、30万部のベストセラーとなった〔佐藤秀明『日本の作家100人 三島由紀夫』(勉誠出版、2006年)〕〔〔この年のベストセラー1位は、原田康子の『挽歌』で、『美徳のよろめき』は2位であった。〕。同年9月15日には、限定版『美徳のよろめき』も刊行され、10月29日には月丘夢路主演で映画も封切られた。文庫版は新潮文庫で刊行されている。翻訳版はイタリア(伊題:Una virtù vacillante)で行われている。 == あらすじ == 上流階級のしつけの良い家庭に育った28歳の節子は、親の決めた倉越一郎と結婚し男の児も一人いた。節子は時折、結婚前の20歳の頃、同い年の土屋とした避暑地での拙劣な接吻を思い出した。結婚後も、土屋とは偶然に舞踏会や町のレストランで顔を合わすことがあった。やがて節子は土屋と何度か食事をした後、彼と再び接吻を交わした。9年前と比べて土屋の接吻が巧者になっていた。 節子は受胎した。もちろんそれは夫の子であった。しかし節子はこのまま生んで、土屋と疎遠となり別れれば、土屋の子供でもないのに生まれる子供が恋の形見となることを恐れ、中絶を決めた。 節子は土屋と旅行に行った。友人の与志子に秘密の共謀をしてもらった。与志子にも夫に秘密の恋人がいた。旅立ちの朝、節子は幼い息子・菊夫に対しては羞恥を感じたが、勤めに行く夫を見送るときは耐えやすかった。土屋と結ばれた翌朝、二人は裸でホテルの部屋で朝食を摂った。それは土屋が以前、僕は真裸で食べるのが好きなんだと、節子にレストランで言っていたことだった。 土屋と何度も密会を重ね、節子は肉体的にも深い快楽を覚えた。節子の生活は土屋を中心にまわっていたが、土屋には節子の夫への嫉妬の影もなかった。やがて節子は土屋の子を受胎した。そして土屋に何も告げずに中絶した。節子は菊夫が早く大きくなって、節子を非難してくれればいいと思った。 土屋がナイトクラブで違う女と会っていたと聞いただけで、節子は嫉妬に苦しんだ。次第に節子の心は土屋の奴隷のようになっていた。それでも土屋と別れられない節子は知恵のある老人・松木や、元花柳界の老婦人に相談するが、解決がつかない。そんな時、節子は再び土屋の子を妊娠した。食事も喉を通らなくなり衰弱した節子は麻酔なしの手術を受けなくてはならなくなったが、激しい苦痛に耐えて声も一つ立てなかった。そのため、いざというときの吸入麻酔も使われなかった。 節子は里の父・藤井景安と久しぶりに食事をした。実直な景安は国家の正義を代表するような地位についていた。機知やユーモアはないが寛厚な人柄の父と一緒にいると、機知に疲れた節子は落着いた。話題の中で、父の旧知の人物が今朝、自殺をした話になった。節子は自分のスキャンダルが、もしも堅実な父親に影響してしまった場合のことをそのニュースに重ね、烈しい恐れにふるえた。 節子は土屋に今までの苦しみを話し、別れを切り出した。土屋は節子を労わり優しかったが、別れを待っていたかのようであった。別れて数か月後、節子は土屋への手紙を書いた。あなたと別れた後の苦しみ、自分がどんなにあなたを愛していたかを綴ったが、節子はそれを出さずに破って捨てた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美徳のよろめき」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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