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美濃大返し(みのおおかえし)は、賤ヶ岳の戦いの際に羽柴秀吉が美濃国大垣(岐阜県大垣市)から近江国木之本(滋賀県長浜市木之本町)までの13里(約52km)の道のりを5時間でかけぬけた大掛かりな軍団移動のことをいう〔『クロニック戦国全史』(1995)p.477〕。 == 移動の理由 == 天正11年4月20日(グレゴリオ暦;1583年6月10日)、秀吉は岐阜城の織田信孝を倒すために美濃にいた。しかし、大雨で長良川と揖斐川が増水したのが原因で、その川に囲まれている岐阜城を攻められず大垣に留まっていた。そのとき、秀吉が築城し、中川清秀が守っていた大岩山砦(長浜市余呉町)が敵将の佐久間盛政によって陥落したという情報が届いたのである。しかし秀吉は反対に喜び「天下はわしが取った」と言ったという。なおこの時中川清秀は戦死している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美濃大返し」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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