|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 美 : [び] 1. (n,n-suf) beauty ・ 濃 : [のう] 1. (pref) dark 2. thick ・ 路 : [ろ] 【名詞】 1. road 2. street 3. path
美濃路(みのじ)は江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇往還である。 == 概要 == 美濃路の原型は古代において東海道から尾張国の国府を経由して美濃国にあった東山道の不破関に出る経路であったと考えられている。当時の正規の東海道は尾張国から伊勢湾を横断して伊勢国に渡ることになっていたが、東国から馬で奈良・京都に向かう場合に馬と一緒に伊勢湾を渡ることができず、近隣の住人に馬を預けてトラブルになることがあった(『日本書紀』大化2年3月甲申条)。このため、徒歩あるいは馬で西に向かう人はこのルートを用いたとみられている〔北村優季「長岡平城遷都の史的背景」(初出:『国立歴史民俗博物館研究報告』134集(2007年)/所収:北村『平城京成立史論』(吉川弘文館、2013年) ISBN 978-4-642-04610-7〕。 関ヶ原の戦いにおいては、東軍の先鋒である福島正則が起(愛知県一宮市)から美濃へ進軍し、戦いに勝利した徳川家康が凱旋した道で、「吉例街道」とも呼ばれ、将軍上洛時にも使われた。朝鮮通信使、琉球王使、お茶壺道中などが、この美濃路を通行した。 東海道では、宮宿と桑名宿の間に七里の渡しが存在しており、江戸時代は水難事故も起こりやすい難所とされていたため、東西を移動するのに遠回りであっても海路を避けられる美濃路が好まれることがあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美濃路」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|