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美濃部 直彦(みのべ なおひこ、1965年7月12日 - )は、滋賀県守山市幸津川町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 == 来歴 == 選手時代はDF(主に右サイドバック)としてプレー。中洲小学校、守山北中学校を経て守山高校に進み、1982年の第60回全国高等学校サッカー選手権大会で滋賀県勢初となる準決勝進出に貢献した。 1984年より松下電器産業サッカー部(現:ガンバ大阪)に入団、1993年まで在籍。1994年より京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に移籍し、1995年に現役を引退した。 1996年から1997年まで京都のJrユースコーチ、1998年から2003年まで京都ユースの監督、2004年から2006年までトップチームのヘッドコーチを歴任。また、2003年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得した。 2006年10月、成績不振による柱谷幸一監督の解任を受けて、京都の監督に就任。翌2007年も引き続き指揮を執ることになった。 2007年、堅実に勝ち点を重ね、第4クールまで自動昇格圏内の2位を維持し続ける。しかし、他チームの追い上げもあり、第44節に暫定3位に後退すると、10月7日には天皇杯3回戦で明治大学に0-1で破れたことから第45節を目前にした10月13日に突如解任(後任は当時総監督であった加藤久)。 2008年より徳島ヴォルティスの監督に就任、同年はJ2最下位に終わる。2009年は18チーム中9位、2010年は19チーム中8位と2年連続で前年順位を上回る成績を収めた。 2011年は最終節まで昇格の可能性を残したが、札幌に勝ち点3差で及ばず、4位の成績。シーズン終了後に監督を退任。 2012年から、佐川印刷SCのテクニカルアドバイザー および京都産業大学サッカー部のヘッドコーチに就任〔京都産業大学と契約 Mino Blog 2012年2月2日掲載〕。 2013年よりAC長野パルセイロの監督に就任。JFL新記録となる24戦無敗を達成し、チームを初優勝に導いた。なお、同年のJFL最優秀監督賞を受賞した。また、天皇杯でJ1名古屋などに勝利して4回戦に進出した。 鼻の下のヒゲがトレードマーク。1993年に怪我した際のリハビリ中から伸ばしはじめ、復帰した後に怪我をしなかったことから続けている〔徳島ヴォルティスの来季監督に決まった美濃部直彦(みのべ・なおひこ)さん 徳島新聞web 2007年12月17日掲載〕。また、京都時代には京都のスポンサーである任天堂のゲームキャラクターから『ルイージ』という愛称もあった〔京都のマリオとルイージに別れ スポーツ報知記者ブログ 2007年10月20日掲載〕。 2015年8月に体調不良により長野の監督を辞任。同年12月24日にギラヴァンツ北九州のコーチに就任することが発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「美濃部直彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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