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義ノ花 成典(よしのはな まさのり、1943年9月4日- )は、東京都台東区出身で、主に1960年代に活躍した大相撲力士。出羽海部屋に所属していた。本名は相河 成典(あいかわ まさのり)。現役時代の体格は189cm、172kg。最高位は東前頭筆頭(1966年11月場所、1971年9月場所)。得意手は右四つ、寄り。 == 来歴・人物 == 幼い頃に元前頭・桂川が開いた錬成道場で相撲を始め、中学に進むと相撲部に所属。そこでは、東京都の大会で優勝するなど、活躍を見せた。その頃、既に体重が150kgを超えており注目を集め、横綱・千代の山(後の九重親方)に紹介され角界入りを決意。中学校卒業と同時に出羽海部屋へ入門し、1959年5月場所で初土俵を踏んだ。 序ノ口当初より「義ノ花」を名乗り、引退までの14年間で1度も改名する事はなかった(但し、下の名は度々変えていた)。 故障もあり三段目でやや苦しんだが、着実に番付を上げて行き、1963年7月場所では初土俵から僅か4年ほどで十両に昇進。そして、1964年11月場所で新入幕を果たした。しかし、新入幕の場所で左膝を痛めた事もあり暫くは幕内下位に低迷し、一時は十両へ落ちていた。だが、1966年3月場所にて再入幕を果たすと勝ち越しを続け、同年11月場所では最高位となる東前頭筆頭まで番付を上げた。この場所では、6日目に栃ノ海から金星(なお栃ノ海は、この翌日に引退を発表)を獲得するなど健闘したが、6勝9敗と負け越してしまった。 当時としては異例の巨漢であった事から、自身には大鵬から白星を上げるだけの要素があったと自信を持っていたようであるが、結局大鵬は義ノ花に対して全勝を保ったまま引退した。出羽海部屋関係者によると打倒・大鵬に燃えてひそかに対策ノートを書いており、現役時代はそのノートを誰にも見せなかったという。 その後、1971年7月場所では生涯唯一の三賞となる敢闘賞を受賞し、翌9月場所では最高位タイとなる東前頭筆頭に昇進した。だが、膝の故障に苦しめられたため負け越し、三役昇進は成らなかった。 現役晩年は幕内と十両とを往復する状態が続き、西十両11枚目で途中休場した1973年7月場所を以って、29歳で引退した。 引退後は年寄・稲川を襲名し、出羽海部屋付きの親方として後進の指導に当たった。2008年9月、停年退職。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「義ノ花成典」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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