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義山 望(よしやま のぞみ、1979年10月16日 - )は、日本のフリーアナウンサー。ニチエンプロダクション(日テレイベンツ社)所属。 == 人物・経歴 == 大阪府出身。近畿大学在学中にアナウンサーを志望し、MC企画が設置していたアナウンサー養成校「中央放送研究会」で学んだ。 近大卒業後の2002年4月、正式にMC企画に登録の上で、四国放送にアナウンサーとして派遣され3年在籍。主に夕方のニュース番組を担当した。派遣契約満了後MC企画からも離れ、2005年4月、TVQ九州放送に移籍。社員アナウンサーとして報道からバラエティまであらゆるジャンルの番組を担当した〔TVQは社内状況に応じ随時社員アナウンサーと派遣アナウンサーを混在させている。派遣アナウンサーは基本的にローテーション仕事以外の持ち番組(レギュラー)が一つしかなく、これに該当する義山の後任・天野は持ち番組が『ルックアップふくおか』しかない。一方社員アナウンサーで義山の同僚だった立花は義山同様複数ジャンルの番組を担当。〕ほか、地上デジタル放送推進大使も務めた。 TVQでは5年勤めて後退社、暫くして個人ブログを始めた。その後も暫く福岡にとどまっていたものの、四国放送に在籍していた縁でそのキー局日本テレビ系列である日テレイベンツの社内部署、ニチエンプロダクションに人材登録。女性アナウンサーの妊娠が相次ぎ人手不足の状態に陥っていた宮城テレビ放送(ミヤテレ)に派遣される形で加わった。あくまでも“ヘルプ”であったため個人ブログはその後も更新された。2011年3月11日発災の東日本大震災では仙台で被災。これをきっかけに、宮城県内他社の民放女性アナウンサーと「SENDAI青い鳥プロジェクト 」にサポーターとして参加し、震災孤児の支援や震災体験の風化抑止のために活動を続けた。 震災後ある程度状況が落ち着いた同年7月からは担当替えでスポーツ部にも籍を置き、東北楽天ゴールデンイーグルス・ベガルタ仙台など在仙プロスポーツチームの取材を行った。 ミヤテレでは震災後もベテランアナウンサーの妊娠があったものの、「(復興途上で)仙台を離れるのは心苦しいが今後のことを考えたいと思い」〔なお、退社挨拶は既にこれより前の3月28日にミヤテレアナウンス日誌で行ったが、同サイトの仕様上最新5更新分しか表示されないため、退社後に同じ内容をアメーバブログに転記した。〕、2012年3月31日に派遣契約を1年9か月で終わらせ退社、仙台を離れた。なお、ニチエンプロダクションには籍を残しており、地元大阪で暫く充電の後新たな活動を始めることにしている〔元長崎国際テレビアナウンサーで『情報ライブ ミヤネ屋』で地元関西を活動の拠点にしている藤村幸司もニチエンプロダクション所属。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「義山望」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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